壱 なりわい

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──とある村の丑三つ時。 昼の賑わいは消え去り、静けさに包まれている。時折吹く風に草がざわめく。その中で微かに聞こえるのは潜められた娘の声。 「ねぇ……ねえってば!」 小さな村にあるにしては立派な屋敷の門の前。彼女達はそこに座っていた。 ひとりは色素の薄い綺麗な髪を紅葉の髪飾りで留めた、活発そうな娘。名を茜音(あかね)と言う。肩辺りで切り揃えた髪が話す度に揺れていた。 もうひとりは瞳が珍しい色をしており長い黒髪を後ろで束ねている凛としたその姿、名を芙蓉(ふよう)といった。彼女は少女と言い表わすには少し大人びた雰囲気を纏っていた。 「芙蓉! 本当に来るの?」 徐々に声量が大きくなってきた茜音に、芙蓉は溜息混じりに答える。 「茜音さま、少しお静かに…」 やんわりと諫めるその言葉を無視して、茜音は続ける。 「ねえ、どうなの?」 「わかりません」 「ええ!? あたしもう眠いよぉ」 芙蓉は、自分より年上のはずなのに駄々をこねる茜音に手を焼いていた。彼女は雇い主の妹君、後ろに聳(そび)える屋敷の人間だ。些か好奇心が旺盛すぎるらしい。 「茜音さまは中でお休みになっていて下さい」 「いやだあ」 数回繰り返しただけあってこのやりとりが無駄であることを悟ったらしく、芙蓉は溜息を噛み殺して足元に置いた羅針盤に視線を移した。
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