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ーーー数ヶ月後。
古い大聖堂の鐘が晴天に響くーー。
夫婦の儀を終えた2人はこの日、名実共に正式な夫婦となるーー。
「胸を張って下さいませ。このエイダが保証いたします」
「所作も完璧ですから、もう少し自信を持って下さい」
「国民の皆様にお披露目するのが楽しみですね」
式当日。
控室で純白のドレスに身を包んだマリアを見たレックスは、そのあまりの美しさに言葉を失った。
トレンドに詳しい侍女達によって着せ替え人形にされていたようだが、本人は古い慣習に倣い露出の少ないシンプルなものを選んだらしい。
ちなみにレックスが着ている王族衣装は黒地に金の刺繍が施されている。
動きに合わせて揺れる長めのペリースが存在感を放っていた。
部屋には何人かの侍女がいたにも関わらず、口元を手で押さえ暫く固まっていると、どこか困惑顔のマリアが不安そうにレックスを見上げてくる。
「やっぱり何か、おかしい……?これでも痣は目立たなくしてもらったんだけど……」
「違うって!見惚れてたんだ。綺麗だったからさ……」
「ありがと。レックスも正装似合ってる」
「惚れ直した?」
「ふふ、まあね」
レックスの軽口に、緊張で強張っていたマリアの表情が和らぐ。
そんな2人のやり取りを若い侍女達は微笑ましく見守っていたが、そうではないベテランが1人いた。
「式の前にいらっしゃるとは、陛下は仕方ありませんね」
「げっ、エイダ。いたのかよ」
「げっとは何です!いちゃ悪いんですか!?」
「少しくらい許してくれよ。本番中はジロジロ見れないんだからさ」
「まったく。相変わらず護衛をまくのがお上手で」
悪びれる様子のないレックスに刺々しく言ったエイダは、先先代から仕える中年の侍女長である。
彼女はマティアスが崩御してからというもの王家の側使いだった役目を城内で持て余していた。
その為レックスがマリアを王室に迎え入れた際、大いに喜んだ元従者の一人だった。
しかしそんな侍女長は目尻を吊り上げて更に物申し始める。
「浮かれるのは結構ですが、くれぐれもマリア様のお体には気を使われるよう申し上げます」
「……何の事?」
「とぼけないで下さいませ!……連日御無体をされるなと言っているのです!」
後半はレックスのみに聞こえるように声を落とす。
「またそれかよ。仕方ないだろ今回は……」
再会後から最近まで、全くといっていい程機会に恵まれなかったのだ。
小さな家に2人だけで過ごしたあの蜜月は幻だったのかと思うくらいには、婚約発表や結婚準備などで互いに多忙を極めた。
元々レックスは周辺諸国との外交や魔物の討伐作戦等で連日城を空ける事も珍しくない。
すると、かつてレックスに袖にされた財政界の名家出身の令嬢達が妬みからマリアに攻撃を始めたのである。
作法習得の一環として開かれた交流会では「王の寵愛を受けられないお飾りの妃候補」「醜い傷モノだから放置されて当然」などと揶揄されたようだ。
しかし後日レックスがそれを知り、激怒した時にはもう既に決着がついていた。
心ない言葉をマリアは実力で黙らせ、なんと彼女達から一目置かれる存在になっていたのである。
詳細は女同士の秘密だとレックスに話してくれなかったが、令嬢達は歳もそれ程変わらぬマリアを「お姉様」などと呼び、恐れと敬意を抱いてる様子だった。
(本気であいつを怒らせたら俺でも手に負えない時あるからな……。それにしても一体何があったんだ……)
そんな事もあり、夫婦仲が順調で王家の基盤が固い事を内外にアピールするのは、現体制に何かと異を唱えてくる反体制派に対しての牽制にも繋がる。
「これはマリアの為。ひいては王家の為だ」
しかしそんなレックスの建前などエイダにはお見通しだった。
「何事にも限度があると言っているのです!厳しい妃教育でお疲れになられているのはご存知でしょう。目元の隈は簡単に隠せませんからね」
「そうは言っても本人が喜んで受け入れてーー」
コソコソとした小声の会話はマリアに筒抜けだったようで、言葉を遮るような咳払いが聞こえてくる。
「ーー俺が悪かった。気をつけるよ」
「お分かり頂ければ宜しいのです」
その様子を見たエイダが満足げに頷く。
女性しかいないこの場においてレックスは圧倒的に不利だった。
やがてマリアのドレスの背中から少しだけ覗くものが目に入り、罪悪感に眉を顰める。
「……まだ痛むよな」
「薬飲んだし平気。レックスの方が腫れてた。私の血飲めば良かったのに……」
(俺だけ楽になれる訳ない)
マリアの、自分よりも他人を優先してしまうのは育ってきた環境による癖のようなものだ。
彼女は「平気」と言うが、実際は夫婦の儀は強烈な苦痛を伴う。
最後まで迷ったがレックスは結局、マリアの後押しで互いの背中に王家の家紋を刻んだ。
レックスが司る炎の魔力で火傷痕のようになっているそこは互いの魔力を調和させる門であり、子を成す時に重要な役割を果たす。
刻印が定着するまで本来なら暫く安静にする必要があるが、レックスが魔力供給する事でマリアの回復を無理矢理早めていた。
しかし体力的な意味で消耗してしまうジレンマがあり、エイダはそれを咎めたのである。
「私は大丈夫」
すると痩せ我慢を見抜かれたくないマリアは化粧台に向き直り、気丈な様子で準備を再開した。
(無理してるな、これは……)
周りに心配をかけたくない彼女は、環境の変化や王の伴侶として厳しく求められる様々な事に対して妥協せず弱音の1つも吐かない。
教養やマナーにおいても短期間で習得済みだ。
責任感の強いマリアらしいがこのままではいつか折れてしまうだろう。
なのでレックスだけは彼女を甘やかすのだと心に決めていたーー。
会場である大聖堂では、見慣れた仲間達や王家に近しい者達が参列していた。
「ううっ、マリア綺麗……っ、この日まで長かったよぉ」
「ふぇーん、良かったぁ、良かったねぇっ」
「ばかやろ、泣いてんじゃねえよお前らっ」
「お前が一番泣いてるだろパウロ、鏡見て来い。酷い顔だぞ」
まるで自分達の事の様に喜ぶ友人達は、その殆どが涙を流していた。
特に顔をぐちゃぐちゃにしているパウロにギルバートは引いている。
彼等に見守られながらの式は、最初王家の習わし通り厳かに執り行われていた。
しかし誓いのキス辺りから抑えきれない盛り上がりが最高潮にまで達し、最後の方は大歓声に包まれながらの退場となる。
レックスの意向により2人の出自やこれまでの経緯を明らかにしていたのもありーーマリアの過去は流石に伏せたがーー世界を救った英雄として、人々から多大な支持を集めた。
国中が祝福ムードに包まれお祭り騒ぎとなった為、その日は警備兵が王都中に配備されるなど異例の事態となった。
「……マティアス、そこから見ていろ」
場の片隅にいたエルネストは密かにこの世にいない先代王へ語りかける。
これまでの王家の型に嵌らない賑やかな式にやれやれと首を横に振りながらも、彼はどこか達観した様子であった。
最終的には厳格なこの宰相でさえ、マリアはその血筋を抜きにしてもレックスの相手に相応しいと認める事となる。
「感慨深いね。孫のような子達だ、幸せになってほしいよ……っ」
その側ではミリアンが、延々とハンカチを涙で濡らしていた。
現フェルゼン王デュークはマリアの素性を知るや否や「ならフェルゼンはバルテウス王夫妻の故郷という事になるな?」とカイザーにマウントを取った為、軽く言い合いになったようだ。
そんなカイザーは、マルセロが名門校の寮に入った時期からエリーゼのアパートに入り浸る様子が王都在住の生徒から度々目撃されており、ミリアンから素行の注意を受けていたとマルセロがこっそりと教えてくれる。
ギルバートは国が落ち着きを取り戻し始めた2年前に既に入籍しており、その時エレナが天高く飛ばしたブーケを受け取ったのは何とアウロラだった。
そしてアウロラは何と現在二児の母となり、パウロを支える良い妻となっている。
パウロの故郷であるサウスアーギナスタに帰郷する際は、毎回彼の大家族が温かく迎え入れてくれるらしい。
厄災で両親を失った少女は、新しい家庭の中で幸せに輝いていた。
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