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「優輝」俺の言葉に、ぽつりとそれだけを返して。
俺はまさに混乱のただなかにあった。落ち着けというほうが無理だ。なんなのだこれは。この状況は。酔いが回り、分別をなくしているということなのか。先ほどの雫の様子が想起される。つまり、これはそういう……。いやしかし。
加奈が跨がっている下腹部のあたりに、じんわりと熱が伝わってくる。とびきりの美少女とこんな形で密着しているという事実に、俺は頭に甘美な痺れを感じた。
だが、いつまでもそれに浸ることはできなかった。加奈の顔を見て、彼女の意図するところがまったく別物であることを直感したからだ。
俺を見下ろす瞳は実に虚ろなもので、一切の感情を宿していないように見える。まるで硝子。戸惑い顔をした俺をそこに見た。――この目を俺は、そう遠くない過去に見ている。
俺はぞっとした。
泰然としているように見えて、加奈は喜怒哀楽のはっきりした、感情に富む少女だ。それを彼女自身が表すには言葉少なであることが多いが、その分、加奈は目をもって己の心情を語るのである。
しかし、色のない顔に瞳。いまの加奈は感情の一切を削ぎ落とした、言うなれば人形なのだ。おそろしく整った目鼻立ちは完璧な造形であり、そんな彼女から感情の類いを取り除くと、浮き彫りになるのはただ冷徹さのみであった。
能面のような加奈を前に抱いた感情は、そこからきている。
「加奈……」
この声は届いているのだろうか。俺に影を落とす加奈を見つめるも、心のうちは伝わってこない。
「……ずっと、考えていたの」
述懐、だった。
「アタシは決して強くない。どれだけ強がってみせても、どうしようもない現実の前では赤子も同然。逃げるだけで精一杯だった」
加奈の右手が俺の首に触れる。
「そんなアタシに、アンタが手をさしのべた。救いようのないお人好しだったわ、アンタは。だれかの力になれるとバカみたいに信じて、傲慢にも他人の心にずかずかと踏み込んで……。でも、アタシはアンタの隣にいる」
左手が触れる。
「結局、アタシは嬉しかったのよ。アンタと雫。こんなアタシと一緒にいても、笑顔を見せてくれる。そんな二人に、アタシがどれだけ救われたか。でも、アタシはアンタたちに依存するだけのヤツになりたくない。和を乱すだけのヤツになりたくない。……わかってるのに、アタシは、変われない……!」
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