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ただ、今となっては山田の”底”に興味が湧いている。
五十年のキャリアを経ても抜けきらなかった田中の悪い癖だ。
田中の脳内は水弾で青年のスーツを濡らした際、ヒトミと青年両名にすべき言い訳の内容を考え始めている。
田中は自身のスーツのネクタイを僅かに緩める、全力でやれ、というサイン。
山田に対する期待の表れでもある。
息子の異能は市原同様、攻撃特化型。市原との違いは得意とする距離。
中・長距離で絶対的に有利になる。
完全な水の操作。常識外れの速度を伴う弾丸として水を操る。
その威力は人間の体程度なら何の問題も無く貫く。
当然、ホームに招いた時点で水の準備は万全。
田中も那花の能力を受けて居る為感知は出来ないが、そろそろ攻撃が開始されてもおかしくない。
この時点で田中は、青年が一体どれほどの水を避けるかに興味が合った。
万が一を考え、実力者を配置した自分に拍手さえ送りたい心境の中、――田中は余りに痛烈な実力の測り損ねに気付く事になる。
「それにしても田中さん」
狂気を感じさせるような笑顔に、思わず冷や汗が伝う。
何より、彼の目線は――。
「あの天使の銅像。立派ですね今にも動き出しそうじゃないですか」
――完全に田中の息子に向けられている。
どれだけ、水を避けられるか? 馬鹿言え。
危害を加えるその前に完全に排除されてしまう。
田中は慌てて攻撃中止のサインを送る。
市原の不服そうな顔。
山崎や椎名が彼を認めているという情報。
こちらから誘っておいての不躾な対応。
最初の皮肉は警告か。
気分が言い訳が無い。
巡りに巡るこれまでの記憶。
長いキャリアの中で田中が導き出した答えは非常にシンプル。
――”底”なんて計れるものか。
計る前に余りの深さに溺れ死んでしまう。
不吉という不吉を集合させたような嫌な予感。
予感ですらないかもしれない。
今思えばあの一瞬で田中は息子も義娘も自分自身も無残に殺されるビジョンを、長いキャリアでなせなかった先見を体感していた。
負けを認め、誠心誠意許しを請う事のみが今を生きる唯一の手段と考えて間違いない。
田中はそこはかとなくナチュラルに、全くの淀みもなく、綺麗に頭を下げた。
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