65人が本棚に入れています
本棚に追加
空虚な家
誰もいない室内。いつからこういう風景が当たり前になったのだろうか。
帰り着く度に迎えてくれるのは点滅する電話機。録音再生ボタンをほぼ毎日押すのが日課になりつつあった。
ピー
暗い室内にけたたましくも感じる電子音が響き渡る。機械的な声が流れて録音メッセージが再生される。
『もしもし、亜子ちゃん? 今日も帰りが遅くなります。夕飯は……』
全て聞き終わることなく、亜子は電話の再生停止ボタンを押す。
亜子はため息をつくと制服を着替えに自分の部屋へ向かう。途中、隣の家の賑やかな声が聞こえてきて、自分の家の静けさに亜子は思わず苦笑する。
物心ついた頃には亜子に父はいなかった。いつも傍らには母の瑠璃子(るりこ)がいて、父はいなかったがあまりそれを負い目に感じたり、寂しく思うことはなかった。当時、瑠璃子が付き合っていた相手が亜子にとってうまく父親代わりを果たしてくれていたからだ。
亜子も瑠璃子が自分の為に仕事に出て働いていることを知っていたし、帰りが遅い瑠璃子に我が儘を言うことはしなかった。
自分の為に一生懸命な母が、亜子は大好きだった。
それがいつの頃だろうか。歯車が狂い始めたのは。
亜子は気づいてしまう。母にとっての一番が自分ではない、と。
初めは亜子も思い違いと思いたかったが、物事の本質を見極めるだけの年に成長した亜子の前に曝された事実に、亜子は直視することを余儀なくされる。都合よく目をそらせるほど、亜子も器用ではなかった。
瑠璃子にとっての一番。それは男。
昔から瑠璃子はどことなく不安定な部分を持ち合わせた弱い人だった。誰かに頼らずにはいられない性格で、その結果として男性への依存度が高い形で現れていた。
小さな頃は代わる代わる男の人を連れてきては亜子に紹介する瑠璃子に亜子は深くは考えなかった。瑠璃子が困らないようにいい娘を演じ、瑠璃子が連れてくる男の人にも理解を示していた。
それが崩れたのは亜子が真実を知った時からだった。その時から瑠璃子に対する思いが冷めていった。
最初のコメントを投稿しよう!