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「嘘、なんでないの。手品っ?!」
驚いた亜子は振り返って男を見上げた。
「違うよ。君が当日用のチケットを今日買おうとしたから消えたのだよ。きっと当日まで姿を現さないだろうね。物理的に売れなくなっただろう?」
「い、意味がわからない……」
「クククク。そう難しく考えることはない。そのままの意味だからね」
男の言うようにそのままの意味ならばなおさらわからなかった。素直な捉え方をすれば、今日売られたくないチケットが自発的に消えたことになる。
チケットが売られたくない一心で手品顔負けの瞬間移動。
移動するのはいいが、どこへ?
いや。
いやいやいやいやいや、ありえない。
この男の言うことを真に受けてどうする。
冷静になれ亜子。
きっとこれは手品だ。
種も仕掛けもある手品だ。
亜子は種も仕掛けも見当たらない空っぽの箱を凝視し、手にとって仕掛けがないか観察する。
「いくら見ても無駄だよ、アコ。その箱にはなにもない。当日用のチケットは当日に渡さなければ意味がないし、前売り用のチケットも公演前日に渡さなければ意味がない。だから無理に買おうとするとなくなってしまうのだよ。意味のないことだからね。」
男が話せば話すほど煙に巻かれているようで亜子はわからなくなっていく。
「不可思議なことは嫌いかね?」
冷笑を浮かべて亜子を見る男に、亜子は釈然としない面持ちのまま、手にしていた箱を男に手渡し戻す。亜子に渡された箱をそばのテーブルの上に置いて、男は隣にあった手ごろな高さの昇降台のようなものに腰掛けた。
「嫌い以前の問題。信じてないから」
「おや、若いのに夢のないことだね」
器用に自分の膝に頬杖をついて、真っ直ぐに亜子を捉える男の視線は微動だにしない。
「このサーカスのチケットは特殊だといわなかったかな」
「特殊?」
「一時(いっとき)の夢を存分に楽しんでもらうために一枚一枚チケットに込めなければならないのだよ」
「込める? 何を?」
主語が見あたらず、ごく自然に尋ねた亜子に男は不気味に目を細めて笑う。
「聞きたいのかな? クククク……」
寒々しく笑う男の表情に、悪寒が走った。亜子は男の問いに首を左右に振って否定する。
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