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亜子の反応に残念と言わんばかりに、男は肩をすくめて見せた。
「フフ。君なら歓迎したのだが、いや本当に残念だ」
再び「何を?」と尋ねたくなったが、あえて言葉を呑み込んだ。問いに対する男の答えを聞く度胸が亜子には足りなく思えた。
「客に夢を見させるのが私たちの仕事なのだよ」
「夢?」
「そう夢。現実世界から切り離して一時の夢を見せる。その為に呪(まじな)いを掛けているのだよ。サーカスを見に来た客が望みの夢が見られるように。だから当日用のチケットと前売り用のチケットでは作る段階で込めるものが違う。似て異なるものであるこの二つを混同できないわけだ」
「平然と奇妙なことばかり言ってくれるのね」
亜子は突拍子もない話に鼻で笑った。
「夢を見せるたってサーカスを見ている間だけでしょ。サーカスが終わればそれで終わり。それ以上、あなたの言う夢は続かない。手作りチケットに何を込めているかは知らないけど、あまり必要性を感じないわ」
「アコ、君はつくづく夢がない子だね」
「……」
しみじみと言ってくれる男に、亜子は引き攣った笑いを浮かべた。
「そりゃ、どーも。」
皮肉な口調で返事を返した直後、辺りがざわつき始める。入ってきた方向とは逆の方からだった。
布ごしなせいか聞こえてくる声や音はくぐもって聞こえる。はっきりとは聞こえないが、随分賑やかな音だった。思わずここがサーカスなのだと自覚してしまう。
忘れていたわけではないのだが、このぱっと見顔色の悪く見える色白の男と向かって話していると、サーカスの爽やかな印象がどこぞへと飛んでいきそうになる。
この強烈な印象の男に全意識を持って行かれそうになるが、そもそもこのサーカス内も奇妙なのだ。テント内のせいで外気に直接触れることはなかったが、テントなのだし密閉性は普通の建物に比べるとよくないはずである。けれど、空気の流れを感じるどころか空気が淀んでいるようにすら感じられた。些細な事かもしれないが、亜子には違和感として脳が感知していた。
男は物音のする方に頭を向ける。
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