水銀

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顔を見て思った。自分も毎日あのような怯えた情けない顔をしていたのだろうか、、、、。 惨めだ。 「この野郎、ただじゃすまねぇぞ」 殴る、蹴る、押さえ込む、引っ張る、踏み潰す、暴力の限りを尽くした行為に私は朦朧とした。 洋服はボロ雑巾の如く引き千切られ、上半身は裸同然の仕打ちであった。 一人が、煙の燻る焼却炉から真っ赤に蓄熱した角材を取り出した。 私は、殺されるのか?そう思った。 そして、私の腫瘍目掛け振り落とした。 ジャングルに生息する動物の鳴き声に似た私の悲鳴が響いた。 「あ、血が出てるぜ」 「やばいぞ」 「かなり出てるぜ」 そんな会話が耳に聴こえた。 「何やっているっ」 ドスの効いた野太い男の声がした。私も咄嗟に逃げようとしたが、身体が言う事を利かなかった。 「大丈夫かっ」 男はそう言うと私を仰向けに抱きかかえ、手ぬぐいで出血している箇所を止血してくれた。 男は学校の用務員だった。 「こんな酷いことを、、、もう大丈夫だからここで待っていなさい」 男は、保健室の先生の名前を大声で呼び走っていった。 私は、男が止血してくれた手拭付近を手でまさぐった。 腫瘍が潰れている。何度もまさぐったが、今までと感触が異なっていた。 皮肉にも腫瘍は「水銀」と命名した悪童たちの手で潰された。 最後の最後まで理不尽であった。 タイムカードを押し、職場を後にした。 車に乗り込み、すぐさまクーラーをつけた。 雲行きが怪しく、遠くで雷鳴が聞こえる。 ちょうど、帰路の中間付近で渋滞に巻き込まれた。前が大型トラックなので、前方の様子がわからない。 しばらくすると、トラックは右折した。 すると、警官が車に駆け寄り、敬礼をして窓をノックしてきた。 私が窓を開けると「バイクとトレーラーの接触事故が発生しまして」 と、事故処理にしばらく時間を要するので、迂回を勧めた。 私は、トラック同様に警官の言われるまま右折を承諾した。 警官が対抗車を制止し、私の車を誘導した。 再び警官が近寄り「お手数かけます」と私に言った。警官が敬礼の瞬間にほんの一瞬、私の傷にちらりと眼をやったのがわかった。 ルームミラーを覗き、首を伸ばして傷を再確認した。 「事故でね、、、」 私は呟いてみた。 もう、ただの傷である。 (終)
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