第七抄

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ほんのわずか、時間がかかって……。 ビクッと仰け反った斑尾は獣の姿から人の姿へ変わり、地に落ちた。 肩から、脇腹から、大腿部から鮮血がぬるぬると流れ落ちている。 『ま、斑尾殿ーーーっ!!』 駆け寄り、その身体を抱え起こそうとして、 レンは鋭く息をついた。 張り詰めていた糸がぶつりと断ち切れたような虚無感。 眠るように閉ざされた瞳と、力無く投げ出された四肢。 傷口から滲み出る血はすでに冷え切っていた。 心臓の波動が既に弱々しい。 認識と共にどす黒い衝撃がレンの胸に走った。 全身が震える。 『……冗談じゃねぇぞっ!』 信じ難く呟き、それから彼は目を見開いた。 怒りすら滲ませて血を吐くように叫んだ。 『どこまで卑怯なんだ!!』 レンは殺意の篭もった瞳で、狐面の男と鬼姫を睨み付ける。 荒い呼吸をし、歯をギリリと鳴らす。 殺さんばかりの剣幕。 しかし、彼の本能が“目の前の二人には敵わない”と叫んでいる。 『くくく、鴉天狗か。そいつを連れて退散するのは今のうちやで?我らの気が変わる前に、な』 狐面の男は気力はたいしたもんや、と言い添える。 狐の面からのぞく眼差しに彼は冷たいものを身中に覚えた。 『くっ……余裕そうじゃねえか。今度会ったら、ただですむと思うなよ!』 勝ち目が無い、と察したレンは斑尾の命を優先に黒翼を広げる。 ばさっ!翼を打ち鳴らして宙に舞い上がった。 レンと斑尾が消滅すると同時に、妖気が薄らいだ。 『ほほ……割り込んだ時は、あなたもまとめて殺してやろうと思ったけど煽り上手ね。あの方は斑尾がやられたと知ったら絶対、会いに来て下さる。嗚呼、楽しみでしょうがないわ』 周りに広まる地獄絵を目にした鬼姫は両の口の角が吊りあがる。 濡れた唇が開き、鬼歯が少しのぞく。 やがてそこから、高らかな笑い声が迸り出た。 邪悪な笑い声が響くのを狐面の男は無言で見つめる。 桜の吹雪が乱れ舞う。 虚空からも降り注ぎ、地上からも舞い上がる。 その中心にただすむ二人は忽然と消えていった――。 .
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