第七抄

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彼が襖を開けると、きついお香が漂う。室内には息苦しいほどの念が凝っている。 「う、そ……!」 茜はぽつりと呟き、震える手で口を覆った。力が抜けて、へたりと床に座り込んだ。 そこには畳の上に布団をのべて、置物のように身を横たえる斑尾。至るところに散った青アザとすり傷、そして、深く浅く肉をえぐられた傷痕があるにも関わらず、彼は穏やかな表情だ。 その上から鎮痛の府を施していた康子がハッと二人を見る。彼女も涙目で耐えきれずに口を開いた。 「――狂ちゃん。斑尾さんが……斑尾さんが、ずっとこの状態になってしまったらどうしよう」 狂は答えなかった。 斑尾の傍らに屈みこむ。 不自然なほど静かな動作で。 腕を伸ばして、そっと血の気の失せた斑尾の頬に触れた。もう一度確認しようとするかのように胸へ手のひらを押し当てて。 「……死ぬな」 やがて漏れた掠れた声に康子と茜はぞくりとした。 重く、暗く、淀んで。 「お前まで俺を、置いて行くな」 わめいたり、取り乱すことはない。身じろぎせずに、ぞっとするほど虚無な瞳を向けて。 まるで何も見てないかのように。 狂の内部で何かが停止していた――。 .
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