第七抄

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「だ、駄目……康子姉さんを呼ぶ――」 瞬間、見つめる彼の目がぎらりと陰惨な光を帯びた。 き、きぃーっ。 突然の怒りに反応した妖魔は怯えて空中に姿を溶け込ませる。 「お前ごときが出しゃばるな」 暗闇から低い命令言葉が返ってくる。 彼の重々しい怒気にぞわぞわと指先まで強ばる。 「く……望むところだ」 じわりと言い放った言葉に彼女の目が大きく見開かれる。 狂の口元には凄艶な笑みが浮かんでいた。 罠でも構わない。 殺す。 殺してやる。彼の身の内で轟々と吹き荒んだ殺意。 彼女は悟って、全身から血の気が引くのを感じた。 この男が脆く、これほどの闇を抱えるとは。 茜の声は届かない、もう止められない。 今は遠くて、とても遠いものに思えて。 刻々と何かが進行している。それが否応なく伝わってくる。 もしも今、狂を支えているものが斑尾を襲撃した者への怒りだとしたら……。 彼女は両手を握り込んだ。 こちらの心配などおかまいなしに、すぐに目の届かない所へ行ってしまうなら。 「私も行く」 切り出す茜に狂は一瞬驚いた。 凍てついた瞳の奥に何か別の感情が見え隠れする。 「私も陰陽師よ、この事件を放っておく訳には行かない」 彼は無言で、闇よりも濃い瞳の色で静かに見つめる。 さっきまで見せていた自失した表情ではない。 感情がうかがえないのは相変わらずだが、纏っていた荒んだものが払拭されていた。 彼は先程の覇気を失って踵を返す。 「……自ら、泥沼に足を嵌める道を選んだな。勝手にしろ」 茜に背中を向けたまま、静かな声を告げた。 そう言うと、暗闇へ身を溶かした。 触れた途端、即座に壊れてしまいそうな。 彼女の目には彼の背中が残酷で悲惨な感情を語っているように映ったのだ――。 .
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