第七抄

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瞬時に長い髪がぶわりと揺らぎ立つ! バキバキッ! 襖が弾け飛んで闇に消えた。 いつの間に、渡り廊下が闇に溶けている。 この空間は鬼姫の妖術によって歪められた場所なのだ。 やはり、速い。 放たれる波動が濃紫の刃と成し、疾駆する。 二人は護身結界で、狂おしく猛る妖気を阻む。 負傷している狂は震える唇をきりっと噛み締めた。 バリッ! 稲妻の形を成す閃光が刀身から迸った。 大切なものを傷つけた。命に代えても、と彼は精神までも削って霊気を高める。 殺意も含め、禍々しい霊気に、鬼姫の着物が風をはらんだように翻る。 『まぁ、怖い。今の狂様はもう限界なはずなのに』 それでも、ひそやかに混じる嘲笑。 狂はくらりと一瞬。目まいを覚えた。 ようやく自分の身体の異常に気づく。 傷口がずくずくと不快な熱を孕んでいる。 「……鬼姫!」 全身が気だるい。感覚が鈍り、ひどく息苦しい。 最初の一撃。強い妖気の毒を仕向けたのか――。 気が付くと彼は地面に膝をついた。 彼の身体を支えようと伸ばした指先は全く機能しない。全身が炎に炙られるような痛みだ。 あっという間に、眠気が波のように全身を浸した。 ゆるゆると頭を振って、憎しい妖を凝視する。 「お、前は……絶対に許……」 狂は闇に沈み、ずるっとそのまま倒れ込んだ。 音のない足運び。かすかな衣擦れと息づかい。 鬼姫は狂の傍らに膝をつくと、彼の頭の上にすっと手をかざした。 『嗚呼。やっとやっと狂様に触れる事が出来た。そして小娘、あなたはどうしましょうか?』 それと同時に鬼姫の瞳に茜の姿が浮かび上がる。 彼女は涙ながらに鬼姫へ向けて弓を引き分けていた。 愉悦に見つめていた鬼姫はふと顔をしかめる。 ゆらりゆらりと彼女の身から噴出する気。 陽炎のように歪む、朱い輝き。 「狂に触らないで!」 『ふ、ふふふ。この霊気……嫌な事を思い出してしまうわ。昔、同じ術を操る陰陽師がいたわ。奴につけられた傷は、今に至っても決して癒えないのよ……その名は緋凰 時守と言ったかしら』 「えっその人は――!?」 茜の血筋の始まり。 その名前は彼女がよく知る人物だった。 鬼姫は裾で隠れていた左腕をさらりと捲った。 一直線にただれる醜い、火傷痕。 茜の激しい動揺を見て、鬼姫の目に残忍な輝きが宿る。 『そう。憎い陰陽師の末裔だったのね』 優美な表情など一欠片も無かった。 ガッ! 一瞬に躊躇いもない手刀で茜の後ろの首を小突く。 霊気が消え失せ、少女は力無く床に倒れた。 『直ぐ殺してしまうのも良いけど少し、気が変わったわ。長らえた血筋を追い詰めて、苦しめて、この手でじわじわと削り取ってくれようぞ』 憎悪と昏い愉悦。 c99f44dd-c156-453f-a267-ebcf35f2897f うっとりと、鬼女は呟くのであった――。 .
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