第七抄

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――目覚めよ。目覚めよ。 呪文にも似た声音が風音に混じる。 夜風に漂っていた桜の花びらが頬について、閉じていた瞼がぴくっと反応する。 茜はようやく目が覚めた。 視界に鮮やかな桜と月夜が映り込む。 身の周りの異変に気付いた茜は、驚き声を漏らして起き上がる。 目の前に映るのは神楽に使われるはずの舞殿(マイドノ)。篝火(カガリビ)に照らされて四方吹き抜けた場がくっきりと視界に浮かび上がっていた。 記憶の接点がない。 これは相手を翻弄する夢幻。 『うふふ。妖気は十分に満ちたわ。あとは狂様の目覚めを待つのみよ』 茜の頭上からひどく穏やかな声がする。 見上げると、舞殿の中央に鬼姫が座していた。 ぱちぱち、火の粉がはじける音がする。 舞殿の中には、“鬼面”がずらりと並んでいた。 生成(ナマナリ)。 般若(ハンニャ)。 真蛇(シンジャ)……。 それらの形相は不気味さをいっそうと増す。 彼女の膝には白装束に着替えさせられた狂が生気無く横たわっていた。鬼姫は眠りについている彼の髪をそっと愛おしむように優しく撫でる。 「目覚めるのを待つって……何が狙いなの!?」 『ふふ、さっきまでお側にいたというのに何も知らないようね』 茜の警戒心が強まる中、鬼姫は彼を床に寝かせるとゆっくりと立ち上がった。 篝火の火が揺れた。 茜はじりじりと後退りをする。 .
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