第七抄

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お父さん、お母さん。 親を一瞬で失うなんて。 康子は目を真っ赤に泣きはらして泣いている。 震える狂の両肩に誰かが手のひらを置く。 ハッと顔を見上げると、目の前に哀しい色を宿す斑尾がいた。 『狂様……申し訳ございません。私がもう少し早く駆け付ければ……こうなってしまった上、お伝えしなければならない事があります。狗御家は隠された言い伝えがありました――』 異形の血を引く狗御家の先祖は、 一人の陰陽師と出会い、術を身につけて陰の陰陽師となった。 人間の身ながら異形の形質を自在に引き出し、妖を配下に従える力も持ったという。 人からも妖からも畏敬、畏怖の念を抱かれた異端児である。 ……その時代、凄まじい欲望と陰謀が取り巻く中で妖の頂点に立ち、統べる力を手にしたのは鬼族の一部のみ。その鬼は既に討伐されて滅びたのだが。 斑尾は静かに、狂を見つめた。 『狗御家はその鬼の血を継ぐ人間から始まり、また鬼の形質が現れやすい血筋なのです……』 「――鬼の形質?」 小さい狂は眉をひそめる。 家系は鬼とならずとも、霊能者など人並み外れた力を持って繰り返したそうだ。 外見はどうあれ、人ならざる者に変わりはない。 ――潜在的に、血の中に受け継いでいる。 このままでは野心を抱く者に狙われ、後の者も危うくなると考えた代々は、首都から離れた土地に身を隠す場所も設けた。 時代は流れ……結婚を繰り返し、血が薄らいできた事に当主は血を伝えるのを止めさせた。 「康子も何も無い。この忌む血など、もう絶えるであろう」と当主は安心しきってたそうだ。 近代になってさすがにその「血」も希薄化していくはずが、予想だにしない出来事が起こる。 「先祖返り」。 ――時代に匹敵する血の濃さを持って、跡取りの狗御 狂が生まれた。 跡取りが生まれるのはめでたいのに、年を経るごとに類まれなる術力と気迫が増していくのを当主は肌で感じて粟立った。 妖気を呼び寄せる魔性と対峙した恐怖。 『当主は私に言いました。自分の息子をどう扱えばいいのか分からない、これからが怖い、とずっと一人で悩んでおられました……』 負の感情は奥底にある邪気を呼び覚ます。 神経の細い病弱な当主が耐えられるはずがない。 あの日、心理的な極限状態が、抑えようもなく。 精神バランスが崩れた途端に闇に呑まれ、思考が弾けた。 狂の父親は鬼にはならなかった。 体の奥底に眠る禍々しい血に対応できず、肉体が破壊されて、おぞましい異形になり果てたのかもしれない。 「そう……だったのか。康子と何かが違うと最近思ってたんだ。僕は……」 道理でこの流れになってしまったのか、と結び目がゆるりと解ける様に。狂はぼんやりと理解した。 狂は父親に認められたくて、頑張ってきたのに。 知らない間に、実の父親から恐れられ、少しずつ避けられて。 殺意を向けられて。 最後は、色濃く受け継ぐ力で妖気を呼び出し、異形に成れ果てた父親を絶命させたのだ。 自分の存在が、尊敬する父親を少しずつ狂わせていたとは。 あまりにも複雑で哀しく惨い結末である。 『狂様……』 斑尾は苦々しく目を閉じて、幼い次期当主に片膝をつくと頭を垂れた。 狂は、妖気に満ちた闇にいても平然といられる器、鬼の形質を引き出せる素質がある。今の時代に強力な力を欲する者にこれほど好ましい素材はない。 その存在を狙う者が再び現れる――、斑尾は当主の言葉を胸にとめて忠誠の言葉を紡いだ。 『私は、狂様と康子様を命に代えてもお守り致します……』 .
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