第七抄

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ふわぁり。 その記憶が遠ざかっていく。 どれくらいの時間が経過しているのか、どこに向かっているのか。 12ae781c-4b6e-4928-9d9d-4bd368faa532 彼自身でも分からない。 いつの間にか、狂は水底のような闇に沈んでいた。 最初のうちは訳も分からず、ただ火の消えたような寂しさばかりを感じている。 ところが……じわじわと、痛みと共に怒りが込み上げてくる。 ――久々見る康子の涙。 レンの傷んだ黒い羽と血痕が続く廊下。固く瞼を閉じる白い顔の斑尾。 一つ一つの記憶を確認させるかのように。 涙は出てこない。 ただ、胸の中で重苦しく黒いものがふつふつと。 その、途端に傷口に激痛が走った。 「……っ。まだ…ここで死ぬ訳には…いかない……!!」 ぎしぎしと軋む声を声帯から絞り出した。 反射的に傷口を手で押さえると、ぬるりと生温かいものが滑る。肉を引きちぎられるような鬼姫の猛毒に、彼の視界が暗く霞む。 禍根は残してはならない。 何としてでも……!! ただ一つの想いだけが狂を縛る。 ――もっと力があれば。 意識の深淵から吹き上げてくる声。 どくん!体内の血がそれに呼応した。 ぶわぁぁっ! 闇よりも昏い妖気が彼から空へと噴き上がった。 身体を炙るような毒がその瞬間に消え失せる。息苦しくもなく、安堵感が心を浸してゆく。 凝集された念に、狂の切れ長の目がすうっと細められた。 「結局、行きつく先はここか」 記憶によみがえる、父の無惨な姿。 人間の形を失い、ぶよぶよと震えていた黒い肉塊。 望む望まないも、濃く受け継いだ鬼の血。 心の闇の底のどこかでは、苦しみから解放される日が来る事を願っていた。 だが……生きてる限り、その願いが叶うのは難しい。ましてや、斑尾やレンや身内の者までも巻き込んでしまう。救われる事はない、と彼は思う。 ――濃く受け継いだ血で、鬼姫を追いつめれるなら。 狂の唇がうっすらと笑みの形に引かれる。 蠱惑的な微笑を浮かべて。 封印を引きちぎろうと身悶えする血。 パキッ! 山媛から貰った鬼封じの黒水晶リングが圧に耐えきれず割れた。 凄まじい力が彼の内部で爆裂した――!!     *   *   *
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