第七抄

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だが。 その恍惚とた表情が消えた。 『何をなさるの……』 信じられぬように、胸辺りに目を落とす。 まわした狂の腕が見事に鬼姫の背中を貫き通し、ぎちりと心臓を掴んでいた。鬼の血に染まって、自我を失うはずの狂によって。 「くっくく……やっと隙が出たな。お前は俺を甘く見過ぎてたようだ。初めてこの姿になったが、人間の部分はまだ消滅していない」 淡々とした声だけに、凄まじい殺気が潜んでいる。 ――一つの肉体に二つの意識は存在しえない。まして、彼の精神を崩して、鬼の形質を引き出すのは完璧なはずだった。 彼女は素早く身を引こうとしたが、背中に食い込んだ腕をふりほどく事が出来ない。 恐ろしいほどの執念というべきか。 ぎしりと鷲掴みする力が強まり、肉がちぎれ、繊維がぶちぶちと音をたてた。 ずん、と空気が重く揺らいだ。 「離すか。お前はここで果てろ」  いんいんと瞳の形を失った彼の双眸。 さらに狂の身体に凝っていた闇が渦を巻いて膨張した。 カッ!! 次の瞬間、二人を包囲するように目映い暗金色の柱が出現した。 地から空へ一筋に伸びる妖気の光芒! 瞠目した茜にも凄まじい妖気の圧が襲い掛かった。 全身にはしった衝撃にたまらず彼女は悲鳴をあげる。妖気は触れてないものの、弾けた気の波動に吹っ飛ばされて、地面に叩きつけられた。 ここまで鬼の血を、自分の意志のままに操れる器というのか。 面白い。 まともに喰らった鬼姫の最期。 目の前に立つ男を見据える鬼姫に笑みが浮かんだ。 妖しく美しい面を歪ませた、凄惨な微笑。 全てほんの瞬きするほどの間の出来事である。 迸る鮮血はない。 ざらり、とその身が砂のように輪郭を曖昧にして崩れ始める。 鬼姫の身体は音もなく砕けて、微塵と化した――。 .
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