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「う……お父さん……」
「……!!ずーっと此処が苦しかったんだよね……もうこれ以上一人で苦しむのは必要ないんだよ、もう十分だよ」
彼女は狂の動揺に誘われ、近づくのが怖いと思いながらも近寄り、〝心〟のあるその場所に、温かい手をあてた。
狂は気勢を削がれて身動きできない。
それは複雑な環境にいる狂の胸の奥に柔らかく響く、優しい小さな声だった。
まだ、道を誤ってしまう前に差し伸べてくれる存在がいる。理解者は斑尾だけじゃない。
康子もレンも千里も、寄り添おうとしているのに……、彼は年齢を重ねるにつれて、いつの間にか周りを拒むようになった。
狂に深く関わっていけば、その者は平穏に生きていけなくなる。
「大切にしたい存在」と思うほど、鬼姫のような首謀者に狙われる可能性が高くなってしまう。
彼自身のせいで、その者の人生を狂わせてしまうならば。
だったら、「弱みを見せず、簡単に寄せつかせない方がいい。その方が自分の為にも、相手の為にもなる」とそんな事を狂は思うようになっていた。
狗御家の頂点に立つ彼に、深く踏み込む者はいない。
「――」
過去の業は消えない、鬼の血を引く家系に生まれてしまった事は変わりない。大切な者が傷つく。
事の深さは彼自身が一番よく知っている。
ただ、気休めでもいい。
「狂のせいではない。深く責めなくていい。自分をもっと労って」と優しく諭してくれる相手が、心底では欲しかった。
茜の真っ直ぐすぎる言葉に、苛立ちながらも、
心のどこかで、ずっと我慢して張りつめていたものがぶつりと切れた。
無言のまま。自然と雫が一筋、黄金色の瞳からすーっと零れ落ちる。
美しく悲しい鬼の涙。
そのなんとも言えない表情を見た途端に茜は耐えきれなく、彼を抱き締めた。
「ごめん。今、狂が消えてしまいそうで怖かった……!」
「……っ」
静かに。
狂の双眸から殺気だった輝きが消える。
瞳が漆黒の色を取り戻した。
身体から立ち昇っていた妖気がゆるりと薄れていく――。
やがて彼の唇から弱々しい呟きが漏れる。
「茜も……皆にも本当にすまない事をした……。小さい頃に鬼の血のせいで、尊敬していたお父さんを追い詰めて、殺されそうになったところを殺したんだ。この時からこの血を恨んで、生きるのが嫌になるほど苦しんだ」
「……」
「斑尾を見た時、また自分のせいで大事な人を失ってしまうんじゃないかと思って……あの日を思い出して怖くて……たまらなかった」
やっと久々に、素直に吐き出し、泣く事が出来た。泣いている事を、目の前にいる少女以外、世界中の誰にも気取られたくないという様子で。
人間の心の奥底などという場所には、
どんなに悲惨で醜悪なものが潜められているのだろうと茜は思った。
「うん……」と茜は更にぎゅっと抱き締める。
狂の冷えた身体に反して、茜の身体は温かい。
刺された傷の痕を、親切な手でさすってもらってでもいるような心地よさだ。
――彼女の温もりを感じながら、狂は次第に重くなる瞼を閉じるのであった。
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