第八抄

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時は一週間くらい前の夜半。 冷たい長雨が降り続いてた。 かつて此処は、厳しく貧しい暮らしを強いられた歴史がある。 冷たい山風が吹き、時には山火事が起き、幾度なく凶作や飢餓に見舞われてきたのだ。昔人は穀物だけでなく、木の根草を掘り、食い尽くした。 栄養状態や生活環境が不十分で、健康ではない子供は「口減らし」として神様のもとへ「返す」風習があったのも事実とされている……。 46e0063b-217e-4e06-98be-334f53dcab62 北の地に潜む昏い記憶を誘うように、雨が降る――。 北の地のにある愛宕(アタゴ)神社。 緩い勾配の山道を上がって、一人の僧侶がそこに姿を現した。高年の男は焦燥の色を隠せていない。 「なんと……今回の災いで……!!」 僧侶が見上げる社は、境界を守る場であるとともに火防の結界としても奉られた一つであった。 自然の災害、集中豪雨により、修復不可能までに破壊されてしまったのだ。その場の機能が失われつつある。 (いや、結界はすでに脆くなっていた) 欝蒼と茂る木々に囲まれて鎮座する神社は、廃墟になりつつあった。何故、この神社がこの地にあるのか、知る者など今はもう少ない。 そんな事を思い、空を見上げた一人の僧侶はぞわりとした。 低く重なり合って地上を覆うような暗雲が、ところどころ不気味に赤黒く滲んでいた。 歴史をぶり返す昏い朱の輝き。 その禍々しさに寒気がはしる。 まだ、実現化はしていない。 あれは幻が見せる知らせだ。 (また多くの命が奪われる。一刻も早く結界を立て直せねば、この地はまた苦しむぞ) 社をあとに踵をかえした突如、足が止まった。 バシッ! その瞬間、僧侶が手にしていた数珠がいっせいに弾けて、珠を散らす。ひっと声ならぬ悲鳴を漏らした彼の足元で地面が小刻みに揺れ始めた。 ごうぅうん!! 思わぬ出来事に。 肌をやく熱風が地から噴き上がり、僧侶を呑み込んだ! 阿鼻叫喚の悲鳴。 鎮められていた邪気の一部が火の気を呼び込んだのだ。ぐうっと炎が膨れ上がる。 火の手は地を這って、神社まで駆け上がった。 ――炎が激しくはぜる音。 社の内部で何かが崩れ落ちる音。 闇に紅蓮の火の手がごうごうとねじくれあがり、赤々と樹林に映えている。そして、燃え盛る火の中から異様なものが放たれた。 細長い胴の、四足獣の形を成した鼬火(イタチビ)の群れ。火炎を纏い、シャーッと口を開いて、どよもすように吼える。 火に属する獣妖が黒い煙が流れ出しているかのように、とろとろと尾を引きながら幾筋も上空へ昇っていく。 ごうぅん。 火飛沫の中から次々と生まれて、それは夜空へ解き放たれて消え失せた。 鼬火(イタチビ)の群れは凶事の前兆。 この先始まるであろう、禍のほんの序盤にすぎない……! .
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