第八抄

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『最近、東北の方で大雨が降ったの知ってるよね?』 「ああ。山の方では土砂崩れがあって、道路の方は冠水した場所があるという事だけは」 『――その後、奇妙な事が起きたんだよ。突然の山火事で人間が複数、焼け死んだって』 冷え冷えとした凪の言葉に狂は目を見開いた。 繰り出された言葉は、狂の想像をはるかに超える状況であることを告げている。 「……どういう事だ?」 まず、老いた僧侶が神社と共に焼死。 その被害は止まらず。 再び発生する火災は一夜にして、山奥にある小さな集落をほぼ全滅にさせた。 豪雨ではなく、不審火によって大勢の人が命を奪われる惨劇。 『街から凄く離れていて、ほとんどが老人だったらしいから助けを求められなかったんだろうね……可哀想に。立て続けに起きる火事はどうも一方的な殺戮にしか思えないよね』 今の遠野は危険だよ、と言う凪。 遠野でこれほどの事態があったとは……。 しばらくの間、狂は唖然と凪の顔を見つめていた。 事態の真相を全て知る者は、今のところまだ誰も居ない。 狂はぎりっと拳を握りしめる。 霊水を手に入れる事は一縄筋では行かなさそうだ。 それでも…彼は凪に向かって言葉を押し出した。 「俺は何としてでも、霊水を手にいれる。ここで諦めたら、斑尾は一生醒まさないかもしれない……それは絶対に駄目だ。今回は凪も力を貸してくれ、頼む」 『……!』 この件は、普通の人間が入り込めない事かもしれないほど深刻な状況に陥ってる。 ――だけど、失うのは二度と、ご免だ。 早池峰山の霊水が、山火事と関する事ならば、必ず治めてみせる。夜よりも深い漆黒の瞳が、真っ直ぐに凪を捉えていた。 間をおいて、くつくつと柔らかな笑い声が凪から漏れる。 『あら、まいったねぇー。狂さんがこんなに僕を求めて来ると断りにくいなあ。危険な事は避けたい主義なんだけど……終わった後は報酬として、とびきり美味い酒を頂戴するよ。狂さん、いいよね?』 「……抜け目のない奴」 凪はおっとりと微笑みかけた。 それでも大変ありがたい、と狂は静かに笑んで応じる。 狗御家を慕う者達は誰も欠けてはいけない。 かけがえのない存在を呼び覚ます為に、ばらばらになった仲間を一つにまとめる為に。 迷いない足取りで近くの駅に向かって歩き出した――。 .
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