第八抄

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「――お兄さん、訳ありそうな様子だね」 その時、前方を向けたままの運転手がぼそっと口を開いた。愛想の欠片もない。 狂達を警戒しているのが伝わる。 耳にした狂は注意深く相手を見る。 半ば、予期していたように。 霊力らしきものは何も感じられないけれども、落ち着きぶりに奇妙な男だと思った。 「……早池峰山の霊水を少し頂く為に来ました。愛宕(アタゴ)神社は関係がありそうだと思ってついでに寄るだけです」 大抵、嘘は言っていない。 やるべきことがあって、来たのだ。 陰陽師だと名乗れない為、当たり障りのない回答をする。 相手はミラーでちらっと一瞥する。 再び、重い沈黙。 だがしばらくして打ち切ったのは運転手の方だった。 「そうでしたか……霊水については詳しく知りませんが、愛宕神社辺りはあまり長居しない方がいい。ここは雨がずっと降り続く日があっても普通ですけど、最近は異常な事が起きてるんですよ」 「異常な事ですか?」 「愛宕(アタゴ)神社を守っていたお坊さんが山火事に巻き込まれてしまって……それから別の日に、早池峰山から火が出ているのを見たという声もありましてね。もっぱらそういう噂になって、遠野の人間たちは気味悪がって近寄らない。だからお兄さんも事が済んだらすぐに離れた方がいいですよ」 「なるほど……そういう事があったんですね」 昔の風景が残る遠野では、今でも伝承や不思議な出来事を信じる人々が息づいている。日頃の会話でその話題にのぼる事はあるようだ。 地元の人間は、謎に包まれた早池峰山を恐れている――。 運転手の耳にも入るほど異常だというのか。 狂は静かな声音で、お気遣い頂きありがとうございます、と頷いた。 .
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