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車は舗装された道路から、脇の林道へ入った。
昔はまさに人里離れた地であっただろう。
どうぅぅぅ。ど、うぅぅぅ……。
地鳴りのような音を聞いたのはその時だった。
その道に入った途端、狂は一瞬、時の流れの違う世界に入り込んだような感覚がした。
「……?」
くらりと目眩を覚えた狂だが、運転手は何も反応していない。凪の方を見ても、彼はいつもと変わらぬ佇まいをしている。
では、空気が変わったという幻聴を彼は聞いたのか。
押し寄せるような樹木の枝葉がガラスをびしびしと叩く。そのまま狭い道を走り続け、やがて傾斜辺りで運転手は車を停めた。
「――ここが愛宕神社の入り口ですよ。これ以上進めないので、足で登ってください」
「はい、ありがとうございました」
狂達が車から降りると、足がふわりと腐葉土に沈んだ。見上げれば、木々が空を覆うように枝を広げている。
正真正銘の山の中だ。
初老の運転手はお気をつけてと言うと、器用に向きを変えて走り去った。
彼に教えてもらった方角を見れば、樹林を縫うようにして、人間が通れるほどの細い登り坂。
しんと空気の動かぬ空間がそこに広がっている。
樹木の幹は苔が生してうっすらと蒼い。
『ふぅん。人が全然来なさそうだよねー』
くるりと辺りを見回した凪は狂の横顔を見ると、失笑した口調で言った。
『もぉー。狂さん、無愛想な顔してたら運転手さんも困っちゃうでしょ』
「……お前が延々と、おすすめのお土産とかグルメとか話し始めたからだ。旅行気分で来てるんじゃないんだぞ、真面目にやれ」
『やだなー、僕は気持ちの切り替えに自信あるよ。いざという時はやるから大丈夫さ』
バチッと片目を閉じて笑む凪からは説得力がない。凪のふわふわして掴み所が無い所に、また狂がげんなりと呆れ顔になる。
彼は自分の行動をあんまり気にしてないようだ。
お構い無しに、すいっと宙に視線を泳がせた。
どうぅぅぅ。
再び、水面の波のような幻聴が運んできた。
凪の視線を続いて追う狂は鋭く息をつめる。
「お前も……気づいてたのか?」
『うん、間違いない。いわくつきの場って感じだ。実物を見てみないと分からない事もあるねぇ』
枝木の間から見える空の大気が水面の波のように揺れている――。
違う、本物のさざ波だ。
愛宕神社辺りだけでなく、早池峰山全体を覆っている波は水の霊気だった。
――静かに、美しく、青々とゆたう結界。
凝視してると、それはふっと途切れたように跡形もなく消えていた。
(早池峰山の中に霊水が涌き出るのも納得する……しかし)
この違和感は何だ。霊気とはもう一つ別の。
狂はゆっくりと視線を坂道に引き戻した。
足で苦になるような勾配ではない。
狂と凪は茂った樹木をすり抜けて軽々と斜面を進んだ。躊躇いもなく、愛宕神社がある上へと駆け上る。
足を止めると、二人はそこにあるものを見た――。
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