第八抄

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『狂さん、この場だけでも祓える?』 「やってみる」 狂はこの場に残る邪気と対峙する。 動作の邪魔になる上着を脱ぎ捨てた。 持参していたペットボトルの蓋を開けると、目を閉じて気を凝らした。 ちりちりと彼の周りから白一色の霊気が渦をまいて身を包み込む。 「我の手で取りて放てば、禍津日神(マガツヒノカミ)を鎮むる霊水となる――」 水に霊気を吹き込み、鎮静する詠唱。 ペットボトルの中にある透明な水が、やがて淡い水色の輝きと化した。 仄かに立ち昇る水の霊気。 「急急如律令退魔(キュウキュウニョリツリョウタイマ)!」 地面にそれをふるおうとした、寸前。 彼の声に呼応したかのように、強い風が吹く! 「なに……!?」 ――邪魔された。呪が途切れた狂は目を瞠る。 肌を灼くような熱風が駆け抜け、離れた地点に突如、炎渦が出現した。 それが弾ける。 シャーッ! 火炎の色が閃いた。現れたのは、細長い四足獣の火塊。 ごう。 火の獣は毛を逆立てるように紅蓮の色を吹いた。 『ええと、あれは貂火(イタチビ)だ。火の気から生まれた妖だね』 凪は相手を確認して、顔をしかめた。 火に属する妖怪。草木を枯らして、水を干上がらせては干ばつの災いを招き、妖火を放っては火の禍を招くという。 ごう。 ごううぅ。 猛った鳴き声をあげ、ぐうっと身体を低くする。 飛びかかる姿勢だ。 「来るぞ。避けろ!」 瞬時に妖の姿が視界からかき消える。 次には狂めがけて、火飛沫のような爪が飛んだ。 速い。駆ければ疾風のごとく。 狂と凪はぎりぎりで、地で蹴って攻撃をかわす。 再び、狂の横合いから爪が閃いた。 しゅん、と高熱に空気が灼ける。 触れるか触れないかのところでバチッと青い火花が飛んだ。 目に見えぬ壁が狂をとり巻いて出現していた。 護身の結界を巡らす為に放たれた真言。 「見てるだけでも暑苦しいな、お前」 狂は背後に飛びすさり、シャツを見下ろして焦げていないかをちらりと確認した。冷たく整った表情と眼差しが鼬火をぎろりと見え据える。 シャー―ッ! 怒りに満ちた獣の咆哮が響く。全身を包む炎よりも激しく、獣の眼が燃えた。 殺気。 その気配に身構えた凪が狂の名前を叫ぶ。 ふっとまたも、鼬火の姿が消滅する。 .
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