信仰

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見たことも無い存在を信じる 心境が私には理解できない。 私は、自分を信じて生きている。 誰かに頼ることはあっても、 病が治るように心から望み祷る事はあっても、 「神様、お願いします」と  願をかけたりはしない。   こんなことを言ったら、相方であり、家族であるMeiに怒られるだろうか。 彼女は、近所の神社が好きで時々出かける。 参拝ではなく、日本建築が好きなのだ。 実は、この作品を書こうとしたきっかけは 「神に対する信仰心のあり方」 これを、深く考えさせられる出来事が身の周りで起きたからだ。 それは、今年のはじめ仲の良い友人が結婚をしようとしている時に起きた事件。 彼女は、10年ほど付き合っていた彼氏からプロポーズを受けた。 その数日後、私たち宛にメールが届く。 ものすごい長文。 内容は深刻だった。 どうやら、彼の実家や親戚は見知らぬ宗教に入っていて、それを知らぬままずっと付き合っていたらしい。 そして、結婚の話が出た時に 「嫁には、入ってもらうのが  当たり前」 そんな事を、相手側の母親が言ったそうだ。 長らく話し合いは続き、彼女は身の危険を感じて、断腸の思いで彼との縁を切った。 破談という悲しい選択だった。 これを私たちに相談してくれた時、 『何かが、違うだろ?』 もやっとしたモノが心を包んだ。 私は、何を信じるかなんて本人の自由だと思っている。 信じていたいものを信じれば良いと思っている。 それが俗に神と呼ばれるもので あってもだ。 しかし、その母親の一言は、私と相反する意見だった。 信じるものを強制的に決められる惨いもの。 嫌だと頑なに拒んでいるものを信じなさいと無理やり押し付ける、ありえない発言。 人を何だと思っているのだ、とさえ思った。 勧誘と信仰は、この事例だけではない。 私も、この問題に何度か遭遇した事がある。 それこそ、見知らぬ人たちが玄関口まで来て神の教えを説こうとしたり、子供を同行させて情を通そうとしたり。 ある宗教団体と結びつきの在る政治家の選挙活動が、やかましく票を入れてほしいと頼みに来る行為。 人は、いつから神を信じるようになったのか。 信仰を押し付けるようになったのか? 今一度、皆さんに問いたい。
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