三島由紀夫

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三島由紀夫

  三島由紀夫(1925年1月14日生) 小説家・劇作家  晩年には民兵組織「楯の会」を作り右翼活動に傾倒、日本の新右翼・民族派に多大な影響を及ぼした。  1970年11月25日午前11時過ぎ、陸上自衛隊東部方面総監部の総監室を「楯の会」メンバー4人と共に訪問。名目は「優秀な隊員の表彰」であった。  総監・益田兼利陸将と談話中、自慢の名刀「関の孫六」を益田総監に見せた後、総監が刀を鞘に納めた瞬間を合図に総監に飛び掛って縛り、人質に取って籠城。  様子を見に行った幕僚八名に対し、日本刀などで応戦、追い出した。  その中には、手首に一生障害が残るほどの重傷を負わされた自衛官もいた。  また総監室も数百万円単位で破損した、のち三島家が弁済した。  三島自身が自衛官と、詰めかけたマスコミ陣に向けて30分間演説することを要求してそれを認めさせた後、バルコニーで自衛隊決起(=反乱)を促す演説をしたが、自衛官達からは「昼食の時間なのに食事ができない」と言う不満や、総監を騙し討ちして人質に取った卑劣さ、さらには三島の演説の内容についての反撥も強く、「三島ーっ、頭を冷やせー!!!」「何考えてんだ、バカヤローっ!!!」といった野次や報道ヘリコプターの音にかき消されてわずか7分で切り上げた。  そして森田必勝らと共に「天皇陛下万歳」を三唱したのち、三島は恩賜のたばこを吸い総監室で上半身裸となり、「ヤアッー!」と叫び自身の腹に短刀を突き立てた。  この時、介錯人の森田は自身の切腹を控えていた為か、手の震えで二度も失敗してしまい(刀が曲がってしまったともいう)、有段者の古賀浩靖が代わって一刃の元に刎ねた。  警視庁牛込署の検視報告によると、三島は臍下4センチほどの場所に刀を突き立て、左から右に向かって真一文字に約13センチ、深さ約5センチにわたって切り裂いたため、腸が傷口から外に飛び出していた。  さらに、舌を噛み切っていたことも報告されている。 1970年11月25日逝去(享年45)  
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