0人が本棚に入れています
本棚に追加
それに気づくと、俯いていた彼女はハッと我に還る。少し頭を上げると、彼女の前には、腰を屈めて彼女に傘を差している人の姿があった。
「───…どないしたん?」
その人物が静かに話しかけてくると、彼女は一瞬ビクッと肩を震わせるものの、それ以上の驚く素振りはせず、おそるおそるだが無意識に顔を上げて相手を見た。
彼女の前にいたのは、若い男性だった。薄暗いので顔はあまり明確には見えなかったが、声からして間違いは無いだろう。
彼は自分のスーツが濡れていることなど気に止めず、座り込んでいた彼女に傘を差し出し、彼女にかかる雨を全て遮ってくれていた。
「……大丈夫か?」
先程の彼女の反応に違和感を覚えたのか、その男性は気遣いながらも、もう一度だけ小さく声をかけた。
…とても優しい声だった。
そんな優しい声など、母が亡くなって以来聞いていなかったせいか、彼女の心にはとても懐かしく、そして静かに染み渡っていた。
「……」
しかし彼女は言葉を返さない。
いや、返せないと言う方が妥当なのかもしれない。
最初のコメントを投稿しよう!