試衞館

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 青葉の繁る初夏の日、いつもの様に彼等は刀を振っている。 「失礼します」  邪魔にならないように小さく言葉を添えながら大分傷んでいる木製の床にゆっくりと足を乗せた。  一瞬足先にヒンヤリとした感覚を感じたが、それも束の間の事ですぐに熱気が私の体を包んだ。 「おお実景くん」  もう一歩、歩を進めようとした所で何度も聞いた豪快な声が私の動きを止めた。  入り口の方に振り返ると、そこにはこの試衞館の主である近藤勇先生の顔が在った。  自分の拳骨をも一飲みにしてしまう大きな口がおはようと私に言葉を投げ掛ける。  私は慌てて半身しか向けていなかった体を正して、 「おはようございます近藤先生」  いつも通りに頭を下げて挨拶した。 ここから先は簡単に予測出来る。 「実景くん……いつも言ってるが……」 「先生は先生です!」  先生は困り顔で頬を掻く。 そして私は間髪を入れずに先生の言葉を遮る。  いくら先生に実の子供の様に可愛がられてても、元はと言えば私は先生の妻であるおつねさんの御手伝いとして試衛館に置いてもらってるのだ。  それに無償で剣術指南までしてくれるそんな先生を『先生』や『師匠』以外に呼べる名が私には思い付かない。  それと同様に尊敬している先生に頭を下げるのも当然の事で、これも改めるつもりは毛頭ない。  いくら先生に頼まれても、絶対に無理だ。 「まぁ……無理にとは言わねぇが」 「はい、無理ですっ! それと朝食の支度が出来たので──」 「おう。 庭先に総司が居る筈だから呼んで来てくれるか?」 「はい!」  先生に一礼した私は、道場を出て庭の方へ向かった。  道場の中とは別のカラッとした夏の風が頬を撫でた。
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