プロローグ

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筋肉が湯気を立てている。 その物流倉庫は主に果物を扱っていた。 男たちは全身で果物の木箱を積み上げる。 早朝の寒い中だというのに半袖のTシャツは汗で濡れている。 ゆりこはガラス越しに見るその風景がとても好きだった。 音が遮られているのと、朝もやのせいでそれはモノクロの映画のように思えた。 倉庫は街のサイズに合わせて小さく、街に合わせて静かだった。 事務机の上ではインスタントコーヒーが湯気をたて、紙を操るカサカサという音が寒々しい事務所に響いていた。 右側に未処理の伝票。真ん中にゆりこ私物のノートパソコン。左側に処理済の伝票。 ゆりこはそうした小さな決め事を自ら作り、守って働くのが好きだった。 カチカチと音を立ててパソコンが入力を受け付ける。ピアノブラックの外観をしたパソコンは古ぼけた事務所では浮いた存在だった。 そのパソコンは元夫から誕生日にもらったもので、彼女はこの古い物流倉庫の事務所に持ちこみ仕事をしている。 上司の民田はそのことをとても評価してくれていたが、ゆりこにしては単純作業をパソコンに任せるのは当然のことで、そのことを思い出すといつもこの会社の時代遅れを憂う気持ちになるのだった。 ゆりこはガラス越しにミチルという青年を探している自分に驚いた。 ミチルと呼ばれる十九歳の男の子がアルバイトを始めたのは先月あたりからで、無口なせいで他の男性職員からよくからかわれている。もっともあからさまなのは民田で、ことあるごとに彼の名前を出しては周囲の笑いをとった。 ある日、ミチルをシャワーコーナーに閉じ込めた者が居た。 それに気づいたゆりこは鍵を開けてミチルに声をかけた。 彼は何も言わずに真っ直ぐにシャワーの出口を見続けていた。 陰部を隠そうともしなかった。 あらゆる苦難を受ける人のように立ち尽くしていた。 若い筋肉が湯気の中で彫像のようだった
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