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「お兄ちゃん」
兄の裕一が中学の頃に両親を事故で亡くして、それから二条家には裕一と妹の雪の二人だけで暮らしている。
裕一曰わく、もともと雪は口数の少ない女の子だったのだが、その事故があってからはさらに口数が減って静かになったような気がする。
雪の笑ったところなんて見たことないし、そもそも雪の笑った顔なんて記憶の中にない。
いつも、どんな時だって雪は無表情だった。
そんな兄妹の食卓の光景は寂しすぎるほど静かで、カチコチ…と秒刻みに進む時計の針の音以外、何も聞こえない。
時折、裕一がコーヒーをすする音が聞こえるくらいだ。
毎回、夕食後に雪が裕一専用マグカップにコーヒーを淹れてくれ、それを飲むのが習慣になっている。
雪の淹れたコーヒーは美味しいので、裕一の毎日のささやかな楽しみでもあったりする。
「え…?」
…最初は幻聴かと思い、コーヒーの入ったマグカップを唇につけたまま雪の方を見てみると、雪は裕一の方をじっと見つめていた。
「お兄ちゃんは学校行かなくてもいい」
ちなみに明日は水曜日。
なので、普通に登校しなければならない。
一瞬、これは雪の冗談だと思ったが、真顔でしかも唐突に言われると本気としか捉えられない。
それに、雪はいつも事実しか口にしないのだ。
「…明日は水曜だぞ?明日って…何か祝日があったっけ?」
「……」
裕一がそう言うと、裕一の姿を視界に捉えたまま雪は首をわずかに横に動いてみせて、
「ない」
とだけ答えた。
「?…じゃあ――」
――なんで?
と、雪に聞こうとしたが、不意に強烈な目眩が裕一の身に起きた。
「お兄ちゃんは学校行かなくてもいい」
さっきと同じセリフが顔を俯かせて、指で目元を押さえる裕一の頭上にふりかかってきた。
「……どういう…こと」
目眩がおさまった直後、意識が飛びそうなほどの眠気が裕一を襲った。
眠気を我慢して、顔を上げようとするが、叶わずにテーブルの上に突っ伏した状態で裕一は意識を手放してしまった。
「…………………」
雪は瞬きせずに裕一を見続けている……
「だって……ずっと、私がお世話するもの」
やがて椅子から席を立った雪が裕一の飲みかけのマグカップを取り上げると、裕一の唇がついた所に合わせて唇をつけて、すでに眠りについた裕一を無表情のまま、じっと見下ろしながらコーヒーを飲んだ。
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