生涯を通して

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その答えは恐らくは yesでしょう。 過去においては、幸せを感じたこともあったでしょう。 しかし、今は駅の構内で柱にもたれて座り、じとーっとした眼差しで通行人を眺めているだけ。 何時間も何時間も。 それを彼はもう何年もやってのけているのです。 彼が居なくなったとき人々は とうとうくたばったか と感じることもなく立派な会社に向かう毎日を続けるのです。 こんな人生の終着点は幸福なのでしょうか? 家族も身内もいない。 いたところで、こんな生活を余儀なくされている時点で、いないようなものでしょう。 幸せに為るために生きるというなら、彼は生きる価値がなかった人生のように思います。 もちろん、彼が現在そして未来において幸福だと感じるなら話は別ですが。 ホームレスのみではなく 老人ホームに詰め込まれた人も 痴ほう症患者も 病気で苦しんでる人も 人生の終着点は幸せなのでしょうか? 僕は幸福とは、求めるものではなく感じるものではないかと思います。 そして幸福は一瞬ということを忘れてはなりません。 目標ではなく単なる通過点なのです。 そこに幸せが無いと言うなら、不幸の中をむざむざと生き恥を晒して生きていくしかないのです。
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