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一本目 ツマラナイハナシ
つまんない話だったかも知れませんがね。
若い男は、それまでのしんとした語り口からは想像もできないぐらいおちゃらけた空気を身にまとうと、にやけながらそう言った。
いやいや、お客さん、語り上手ですな。
ミラー越しに言う運転手の言葉は、決して世辞ではなかった。
話の内容自体は、確かにおもしろいと言うのかどうか、判別に困るような内容ではあったのだけれど、
それでも運転手の耳には、それがとても興味の持てる怪談話に聞こえていたのだ。
そうですかねぇ。
ははは、照れるじゃないですか。
舌の回らない酔っ払いの話ですよ。
座席にもたれかかっていた若者は少し身を起こした。
この若者、タクシーを止めたときには呂律が回らない上に千鳥足という状態だったのだけれど、
今では驚くほど――少なくとも運転手の常識に当てはめるのならば――正常で、きれいにひげの剃られた顔こそ赤く火照っているものの、
それ以外の要素をとれば、とても数十分前まで酔っ払っていたとは思えない。
はあ、と、若い男が息をつく。
その息はきっと未だに酒臭いのだろうけれど、
既に若者の息に慣れきった運転手の鼻には、いかほどの刺激も与えはしなかった。
あれだけ喋っておいて、いまさらつけくわえたって意味がないんですけどね。
若者は一瞬俯いてからすぐに顔を上げて、
これはね、誰にも言うなって。
そういう話なんですよ。
再度にやけた。
ははは、言っちゃいましたけど。
運転手のハンドルを握る手が、わずかにぶれた。
直線の道路を走っていたタクシーの軌道が、ふわりと揺れる。
ど、どうしたんですか。
運転手は応えず、そっと己の胸に左手を添えた。
若者は不審がるでもなく座席にもたれかかると、
あれっ。
頓狂な声をあげて、赤ら顔を真っ青に染めた。
どうかしましたか。
今度は運転手が尋ねる番だった。
若者は落ち着かない様子で首をちょこちょこと左右に振りつつ、
痛みが、とれたんですよ。
と言って短髪の頭を掻いた。
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