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何かが乗り移ったのかとさえ思わせるほど粛々とした友人の姿を、僕は目を見開いて、こちらも何かに憑かれてしまったかのように眺め続けていた。
こうしてお経が読まれているときは目を閉じているものだと分かっているはずなのに、この場所この雰囲気は、僕の目蓋に上向きのベクトルしか与えてはくれなかった。
それが、いけなかった。
お経を読むハルヒコの横顔。
その先で真っ直ぐ続く道の中に、恐ろしく不吉なものを見てしまった。
白に近い色のワンピースを着た、黒い髪の女性。
長い前髪で顔が隠れきるほどにうつむいて、しかし彼女は確実にこちらを見ている。
直感した。
あれは、いけない。
この間の幽霊とは違う。
だけど、あれはどう考えてもまずい。
まだ僕らと彼女との距離は、ハルヒコのお経の声が聞こえていないであろう遠さをもっているけれど、彼女が一歩でも歩き出せば、息つく間もなくゼロになってしまうだろう。
僕の脳内に染み込んでくるこの懸念は、はたしてただの幻想だと言い切ることができるだろうか。
ハルヒコの声が、今までよりもいっそう低くなる。
それはこの状況を察したのではなくて、お経がクライマックスに突入したからなのだろう。
ハルヒコは合掌した手を数珠と一緒に擦り合わせ、少しだけ力強い声で
「般若心経」
と唱えると、目を開きながらこちらを向いて、照れくさそうににやけてみせた。
「よし、終わり。我ながら様になっていたような気がするよ」
まだ、ハルヒコは気づいていない。
俯いた女に、背中をさらしていることを知らない。
「そんな顔して、まだ不安なのかい。大丈夫だよ。あのお札は知り合いの神主に譲ってもらった、ちゃんとしたお札なんだ」
まだ、気づいていない。
「しかし残念だよな。その幽霊が出てきたら、顔面に貼ってやったのに」
さすがに、僕の様子から何かを察したのだろう。
軽口を叩いたばかりでにやついた顔を硬化させ、ハルヒコはそのままの顔で僕の視線を追った。
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