8月15日

3/8
前へ
/8ページ
次へ
 志願して陸軍に入隊してから二年、いや足掛け三年が経とうとしていた。入隊したのが十四歳。この日、玉音放送を聞いたぼくは十六歳だった。  志願の動機は単純だ。  飯が食えるから。他人にやっかいになったり、いやな仕打ちを受けたり、惨めな気持ちになったりしなくても、何とか一人で生きて行けるところだから。  家が零落していたことと、食糧事情の酷さもあって、ぼくは口減らしを兼ねて親戚の家に預けられ、そこから中学に通った。疎開ということだったが、親戚からすればお荷物だったろう。  米は無いというので、ぼくは毎日、臼で麦を挽かされた。ぼくにまわってくるのは挽いたあとに残った麦殻を練ったすいとんだった。ぼくはいつも腹を空かしていた。時に他家の畑から芋や砂糖黍を盗んで空腹をしのいだことだってあった。  ある日、学友がチョコレートをひとかけ持っていたので、どこから手に入れたのかと聞いた。配給だと云う。時折、菓子なども子どものいる家には配給されることがあるのだと云う。ぼくは疎開してきてから一度もそんなものにお目にかかったことはなかった。親戚の家にはぼくと同じ年頃の子供がいた。配給菓子は全て彼の方にまわされたのだ。  こんなこともあった。  学校で泊り込みの合宿をやるという。先生が各家にこれだけの米が配給されているはずだから、各自の分として米を二日分もって来いという。米は配給されてないと聞いていたので驚いた。帰宅してから先生の指示を伝え、配給されたぼくの分の米があるはずだと言ったら米が出てきた。しぶしぶ出してきたのだ。こんなに米があったのかと驚いた。合宿では腹いっぱい飯が食えた。情けなくて泣けた。  だから、ぼくは志願したのだ。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加