8月15日

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 入隊の日のことはよく憶えている。  ぼくは小柄でひどく痩せていた上に、栄養失調でたびたび目眩に襲われるありさまだったが合格し、その日、ぼくは入隊のために停留所でバスを待っていた。通りがかりの老婆が、どこへ行くのかと訊いた。入隊するのだと答えると、老婆は、――こんな子供が――と涙を流しながら、見も知らないぼくに餞別をくれた。  入隊してほどなく、福岡の部隊に配属された。  ぼくは、軍が小学校の校舎を借り上げた兵舎に暮らし、そこで訓練をうけた。  特攻隊だった。  真珠湾攻撃から二年にして、入隊間もない若者を特攻隊に送り込むほど、戦局は早々と悪化していたのだ。  特攻隊というと航空隊のそれを思い浮かべるかもしれないが、ぼくが配属になったのは爆薬をつんだボートで敵艦船に近づき、船腹にこれを仕掛けて逃げるというやつだ。  特攻艇を見せられ、説明を受けた後で乗ってみて驚いた。ベニヤ板一枚で、踏むとたわんだのだ。乱暴に乗ったら穴があくだろう。これは艇ではない。筏(いかだ)だ。それも粗悪なベニヤ板に小さなエンジンを取り付けただけの筏だ。  それ以上に、こんな筏で接近できるほどの近海に敵船がいるのだという事実におどろいたことを憶えている。
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