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「梶さん、顔が疲れてますよ。 悩み事ですか?」
「なに。馬鹿にしてんの?」
滅相もない。そう言いながら、蛇口をひねる佐山。
休み時間。トイレの手洗い場。
「いじめが嫌いなんですか?」
「はあ?」
愚問を通り越して意味不明。俺は彼を睨む。
「好きな奴なんているか?」
「案外いると思いますけど。だってほら、みんなが嫌だと思うなら、いじめは起きないでしょう」
「そんなに簡単なことじゃない」
「いじめはヒトの意志ですよ。アイは沙穂ちゃんをいじめたい。そして、圭輔もりっちゃんも那子も、それに対して別段意義を唱えない。
もっと言えば、沙穂ちゃんだって抗おうともしない。これが現状です」
「……お前は今しか見てないから、そう言えるんだ。あのクラスはずっと平和で、仲が良くて、こんな、今みたいなの、おかしいんだよ」
二人ともとっくに手を洗い終わっていたが、その場にとどまって話を続けた。
「なるほど、梶さんはその平和が好きだった、と。だから元に戻したい、と」
「当たり前だろ」
そう返事はしたものの、みんなの意思に反して俺が動くことは、多分もう無い。
「元に、ねえ。本当に純粋に平和だったのなら、いきなり今みたいな状況になるのは変だと思いません?」
「それは……」
痛いところを突く奴だ。
「お、森也と佐山やん。なに、連れション?」
……圭輔。
「はあ? たまたま鉢合わせたんや。誰がこんな奴と」
「梶さん、傷つきます」
中断せざるをえなかった話に消化不良を起こしながら、俺は圭輔が用を足すのを待った。彼が「ちょっと待っとって。三人で教室に帰ろう」などと、気持ちの悪いことを言いだしたからである。
「へえ。佐山は一人暮らしかあ」
圭輔が感嘆の声を上げる。トイレからF組までの短い道のりを三人並んで歩く。なぜか俺が真ん中だ。
「一人暮らしって、親の都合で転校してきたんじゃないん?」
「違いますよ。普通に転校してきました」
……普通に転校ってなんだ。適当に答えやがって。
「ええなあ。一人暮らし。うらやましい。俺もいずれ都会に移って一人暮らししたいなあ」
「家事とか大変だけどね」
「そりゃ残念。圭輔には無理やな」
圭輔からの反論を聞き流し、ドアを開けて教室の中に入る。
「また遊びに行かせてよ。佐山のアパート。あ、てか連絡先聞いてへんやん」
「そうだっけ?」
彼らの会話をぼんやりと聞きながら、俺は沙穂ちゃんの机の前を通過することに気まずさを感じていた。
彼女はひたすら文庫本と向き合っている。
「じゃ、佐山。LINEのID教えてや」
「ああ、うん。紙ある?」
「え!?」
――いきなりなんだ? 俺は思わず仰け反った。今まで死んだように動かなかった沙穂ちゃんが、顔を上げて、目を見開いていた。
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