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「お前さ」
「は、はい」
夏生の低く唸るような声に背筋がぴんと伸びるけど、怖くて視線はどうしても合わせられない。
だけどそれを許さないとでも言うように、夏生は苛立った様子で私の左肩を強く掴み壁に押し付けた。
「…い、いたっ」
「あの時、何て言おうとした」
「え…?」
肩を掴む手に力が込められるけど、顔は上げられない。
痛みに身体を強張らせながら、夏生の言いたいことを必死で探る。
「あいつが廓から去る時だよ」
「航一さん…?」
「自分も一緒に行きたいって言いかけなかったか」
「……」
…言った。
『私も一緒に行く』
航一さんに阻まれなければ、確かにそう言うつもりだった。
あの瞬間は周りが見えなくて、航一さんだけが私の全てのように思えたから。
「………」
黙り込む私をどう思ったのか、夏生が私から身体を離す。
それが見放されたような気がして慌てて顔を上げると、何とも表現しがたい顔をした夏生と視線が絡んだ。
さっきまでの激しい怒りは感じられないけど、葛藤を抑えているような複雑な顔。
「波瑠」
夏生の掠れたような小さな声に息を呑む。
それは昨日、航一さんと連れ立って座敷を出る時に投げかけられた声と同じだった。
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