残暑、去り難く

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  わらしが僅かに美しい顔に眉を寄せた。 わらしにいなくなられたら困る。 だけど、ここを「世」と、わらしは言う。 この廓のこの座敷だけが、わらしの「世の中」だからだろう。 それって、わらしにとってどうなんだろう。 そう思うと口に出したことを後悔しなかった。 わらしは何を考えているのか、それには答えず目を細めて私を見るだけだった。 行灯に照らされた広い座敷をぐるりと見渡す。 柱時計だけで、窓一つ無い。 こんなところに百年以上もいるなんて。 こんなものが、わらしの世界。 「…ねぇ、初代様との契約って何?どんな経緯で『鳳来』に…」 その時、襖が開いて夏生と共に女郎さん達が膳を運んできた。 私の退室の時間だ。 話の途中だったが、わらしは絶対教えてくれないと思い、諦めて腰を浮かせる。 それに、夏生がいると私の口が縫い付けられたようにピタリと閉じてしまうから… ――突如、目の前に杯を突きつけられた。 「注げ」 「………は?」 「餓鬼は礼儀も知らんのか」 わらしはだらしなく座ったまま口元を妖しく歪めた。 「わ、私が注げばいいの?これ?」 膳の上にあった徳利を持ち上げようとすると、恐ろしい勢いで横から夏生に奪い取られた。  
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