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言葉が出てこない。
何を言ってもただの綺麗事になるのが目に見えて、俯いて唇を噛んだ。
冬馬くんは肉体的に。
…夏生はそれ以上に、精神的に縛られている。
「こら、唇噛むな」
突然伸びてきた手に頬を摘まれると唇が横に引っ張られ、噛んでいた肉を失った歯が所在なげに揺れた。
顔を上げると夏生はまじまじと私の唇を見る。
「強く噛みすぎ。また傷付くぞ。お前、昔からそんな癖あったっけ」
「傷付いたのはなっちゃんじゃん」
「俺は傷付いてなんかないよ」
他人事のように楽しそうに笑いながら摘まんでいた指を離すから、むかついた。
悲しくて、むかつく。
「…なっちゃん」
「ん?」
「…なっちゃんなんて、嫌いだよ」
「おい。傷付くんだけど」
「我慢するなっちゃんなんか、嫌い」
「……」
夏生の瞳がほんの一瞬だけ揺れた気がするのは、提灯の灯りのせいだろうか。
瞬きを忘れたような切れ長の目に私が映る。
遠くから聞こえる三味線の音が二人きりの空間を強調させた。
「…自分が甘やかしてあげなきゃ心は育たないって、おばあちゃんが言ってたよ」
「……」
「我慢に慣れちゃ駄目なんだよ」
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