Film.3「微睡みにて」

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「寺嶋さーん!」 ざわめきの中、軽やかに耳へと流れ込む声。その音に導かれ、廉嗣は声の主を探し振り返った。 昼の光の中、頬を真っ赤にして満面の笑みで駆け寄ってくる彼女を見つけた。 「ああ、環希ちゃん。」 廉嗣はと言えば愛想のない応え方で軽やかな声の主を迎えていた。 「ハァッ、ハァッ、久しぶりに全力疾走しちゃった。寺嶋さんて歩くの早いよ。なかなか追いつかないんだもん。」 廉嗣は彼女の踊るリズムにイマイチのりきれないでいた。過去のトラウマがそうさせるのか、人からは「ノリが悪い」「何を考えてるかわからない」と言われる事もしばしばあった。 「ああ、ごめん。で、どうしたの。」 相変わらずリズムの合わない廉嗣に対して、環希は少し呆れた顔で廉嗣を見ていた。 「どうしたのじゃないですよ。書類!打ち合わせの書類忘れていったでしょ!一番大事なもの忘れてどうするんですか。はい!」 そう言って書類を差し出す彼女の瞳は、呆れながらも優しさに満ちている。 誰からも好かれる、というのは、彼女の様な素敵な笑顔を持っているという事なのだろう。 「ああ、悪い。俺、何しに行くつもりだったんだろう。」 「全く。デザイナーが広告代理店との打ち合わせに行くのに書類無しでどうする気だったのかしら。」 肩を弾ませながら話す環希。廉嗣は受け取った書類をしまいこむと、簡潔に礼をする。 「とにかくありがとう。助かったよ。」 それを聞いた環希の瞳は、まるで小悪魔の様に企みを含ませて廉嗣を見つめてきた。 「『ありがとう、助かったよ』じゃ許しません。食事でもご馳走して下さい。」 妖しげな環希の視線に一瞬たじろぎながらも、廉嗣は軽い気持ちでそれに応えた。 「了解しました。今度何か奢るよ。」 環希は一歩近づくと、廉嗣の顔を更に見つめて笑顔で言う。 「今度じゃダメです。今夜です。」 その挑戦的な眼差しに、廉嗣はただ気圧されるのみだった。 「り、了解…。今夜だね。」 その答えを聞いた彼女は整った顔立ちを柔らかく崩して笑った。 「じゃあ今夜。忘れちゃダメですよ。」 彼女は跳ねる様なステップで身を翻すとあっという間に雑踏の中に埋もれていった。 「今夜、楽しみにしてますから!」 人混みの中から環希の声だけが届く。その声の余韻を聞きながら、廉嗣も振り返り雑踏を歩きだした。
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