真夜のサイクリング

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 例の本屋へは和歌山城や市役所を眺めながら着く。大きい。まだ小さい私には、本屋の常識というものを圧倒されたような印象があった。図書館≧例の本屋〉地元の本屋〉僕の部屋 である。内装は美術館の様に煌びやかだ。 ぎりぎり営業中だったのだが、どうやら開店時間はとうに過ぎているらしい。立ち読み客が帰ってくれないのだろう。長居するのも悪く思った私は、またサドルに跨った。本屋を満喫したわけではないのに満足していたのは、おそらく『ここまでの道のり』にこそ意義を感じていたからだろう。  何事もそうだ。目標の達成、夢の実現。人間は多くの場合、それを成し遂げる経過にこそ意味を持たせる。達成して何を得るでもない。なしえた先に何があるでもない。  その道のりに何が落ちているか。どんな美しい物が宙を舞っているか。そしてそれらを如何にして懐に納めるか。生命の帰結という至極虚無的な、0に戻るとも言える漠然な目標に対しても、おそらくはその経過こそが重要なのだ。  話が逸れたが、例のアホガキはまた下らない事を思いついたようてある。
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