やがて

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ヒクっ…と。里衣子がしゃくり上げる音だけが部屋に響き渡る。晃志は里衣子の顔を見ない。時折聞こえる「ふっ…っ…」という里衣子の泣き声が空気を張り詰め重苦しいものへと変えていった。 「…里衣子」 「……」 小さな子供に言い聞かせるような低くて宥めるような晃志の声色。その声色には里衣子の望む答えなど到底返ってきそうになかった。 「…その気持ちには応えられないんだ。今日はもう、帰りなさい」 「……晃志」 縋るような里衣子の視線を、晃志は意図して見ないようにしていた。晃志にとっても里衣子は生涯でただ一人しかいない大事な人間なのだ。女として、自分の娘として、全てにおいて何よりも優先したい存在。ようやく託せる男が見つかった。幸せになってくれたのだと思った。それを揺るがすような現状を、受け入れるわけにはいかなかった。 「……ごめんなさい……っ!」 書類を掻き集めて里衣子は部屋を飛び出す。廊下からはカツカツと走り去っていく音が聞こえてきて、晃志は思わず自身の座っているソファに拳をあてる。 「くそっ……!なんで…」 自分の選択はこれで合っている筈なのだ。里衣子は娘だ。成村という申し分ない男と結婚もしている。子供も産んだ。もう自分の手の中にいる女じゃない。それでも自分を好きだと言ってきた里衣子。仕事の場だというのに泣かせてしまった自分。里衣子の幸せを何よりも考えてきた。何よりも優先したかった。 ―――――本当に、これが里衣子の幸せなのか? 違うかもしれない…と思った瞬間、晃志は部屋を飛び出し、エレベーターに駆け込んだ。まだ間に合うはず。里衣子は運動神経がそんなに良くない。走っていたとしてもまだこの藤宮本社の敷地内にいるはずだ。 今、今、今、伝えなければ。 今伝えなければ、もう今後一生、里衣子に伝える機会がないと晃志は思った。 ギュっとネクタイと握りしめ、らしくもなく泣きそうな気持ちになる。 「…里衣子、俺も――――――」
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