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エレベーターが地上階に到着すると、晃志は思い切り走った。藤宮本社ビルを出て敷地内の広場を左に行くと地下鉄の駅がある。里衣子はそこを目指している筈だ。
神様、どうか間に合ってくれ――――。
どんなに難関なオペでも、どんなに重要な商談でも、神になど祈ったことのない晃志が生まれて初めて神に願う。
その願いが通じたのか、先ほどまで同じ空間にいた里衣子のベージュのスーツが目に入った。晃志は考えるよりも先に、気が付いたら声を振り絞って叫んでいた。
「里衣子っ…………!!」
その声に勢いよく振り返った里衣子は涙を流していた。いつも泣かせてばかりだな…と晃志は自虐的に嗤う。それでも、もう、手放す気など更々なかった。
「……晃志」
歩みを止めて自分に近づいてくる晃志を、里衣子は不思議そうな顔で見つめる。仕事を投げ出して本社ビルを飛び出してくるなんて晃志らしくもない。突然の晃志の行動に里衣子の思考は何一つ追い付かない。
「…なあ、里衣子」
カツン…と。革靴を鳴らして里衣子の目の前まで到着した晃志は、里衣子の濡れた頬に目をやった。自分が泣かせている。この涙を拭うのは自分の仕事ではない。頭では分かっているが、もうそれを我慢などできるわけもなかった。親指でソッと里衣子の涙を拭う。プロポーズする男というのは、こういう気持ちなのだろうか。それにしたら、自分は夫も子供もいる女を奪おうとしているのだから、甚だしい行為だ。でも言わずにはいられない。随分遠回りしたのだから。
「パパになってやる。今度はお前のじゃない、桜の、だ」
――――それがどんな意味になるのか、わからないほど里衣子はもう子供ではなかった。
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