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後漢末、鉅鹿を中心に乱が起こった。太平道教祖、大賢良師張角と言う人物を中心に「黄巾の乱」が起こったのだ。
始めは町民の病気を治したり、人を救う為に始まったものだが、次第に漢帝国の乱れを治すと言い、各地の村、町の略奪を始めた。
官軍は太平道の横暴を阻止すべく、各地に軍を派遣した。しかし、黄巾の勢いは凄まじく、官軍は苦戦を強いられた。
苦し紛れの官軍は町民に御触れを出した。
その御触れを見た青年がいた。劉備と言う青年である。およそ、半刻じっと見つめ、立ち去ろうとしたときだ。
「お主、それを見てどう思った。」巨体の虎髭の男だった。
「私は何も…」
「そんなことあるまい。じっと様子を見させて貰ったが、半刻も見つめ、何も感じなかったわけではあるまい」
「いえ、乱れは大変だとしか思いませんでした。」
「ふざけるな。貴様はそれでも男か、俺は義勇兵に志願する。乱を黙って見過ごすほど馬鹿じゃない。とっとと失せやがれ、不愉快だ」
「申し訳ありません…私は嘘を申しました。私も乱を沈めることを考えていましたが、到底、私の力では無理だと内心諦めていた次第です。」
「それならば、俺たちで義勇兵を集めようではないか。」
こうして、義勇兵を集めることになった。虎髭の男は張飛となのり、大柄で、美しい髭の男、関羽を紹介した。
三人が共に義勇兵を募り、町民のおよそ五十人が立ち上がった。義勇軍とし、官軍に志願する前に、劉備の家の裏庭に美しい桃園が広がっており、そこに祭壇を設けた。
劉備は高祖劉邦の末裔であり、皇帝の血筋である。関羽、張飛は軍の長とし、劉備を進めたが、劉備は断った。そこで、関羽の意見で、義兄弟の契りを結ぶことにした。
「我ら産まれた日は違えど、死す時は同じ日、同じ場所、同じ時を望まん。」と誓いを立て、劉備を長兄、関羽を次弟、張飛を弟とした。
これが、有名な桃園の誓いである。
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