桃園の誓い

2/2
前へ
/75ページ
次へ
後漢末、鉅鹿を中心に乱が起こった。太平道教祖、大賢良師張角と言う人物を中心に「黄巾の乱」が起こったのだ。 始めは町民の病気を治したり、人を救う為に始まったものだが、次第に漢帝国の乱れを治すと言い、各地の村、町の略奪を始めた。 官軍は太平道の横暴を阻止すべく、各地に軍を派遣した。しかし、黄巾の勢いは凄まじく、官軍は苦戦を強いられた。 苦し紛れの官軍は町民に御触れを出した。 その御触れを見た青年がいた。劉備と言う青年である。およそ、半刻じっと見つめ、立ち去ろうとしたときだ。 「お主、それを見てどう思った。」巨体の虎髭の男だった。 「私は何も…」 「そんなことあるまい。じっと様子を見させて貰ったが、半刻も見つめ、何も感じなかったわけではあるまい」 「いえ、乱れは大変だとしか思いませんでした。」 「ふざけるな。貴様はそれでも男か、俺は義勇兵に志願する。乱を黙って見過ごすほど馬鹿じゃない。とっとと失せやがれ、不愉快だ」 「申し訳ありません…私は嘘を申しました。私も乱を沈めることを考えていましたが、到底、私の力では無理だと内心諦めていた次第です。」 「それならば、俺たちで義勇兵を集めようではないか。」 こうして、義勇兵を集めることになった。虎髭の男は張飛となのり、大柄で、美しい髭の男、関羽を紹介した。 三人が共に義勇兵を募り、町民のおよそ五十人が立ち上がった。義勇軍とし、官軍に志願する前に、劉備の家の裏庭に美しい桃園が広がっており、そこに祭壇を設けた。 劉備は高祖劉邦の末裔であり、皇帝の血筋である。関羽、張飛は軍の長とし、劉備を進めたが、劉備は断った。そこで、関羽の意見で、義兄弟の契りを結ぶことにした。 「我ら産まれた日は違えど、死す時は同じ日、同じ場所、同じ時を望まん。」と誓いを立て、劉備を長兄、関羽を次弟、張飛を弟とした。 これが、有名な桃園の誓いである。
/75ページ

最初のコメントを投稿しよう!

75人が本棚に入れています
本棚に追加