十常侍の乱

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十常侍の乱

皇帝は病に伏せていた。その情報は一部の宦官にしか知られていなかった。 そして、遂に息を引き取ることとなった。皇帝には二人の子どもがおり、弁と協と言った。皇帝は何皇后がお気に入りだったため、弁皇子を新皇帝にと遺言を残した。 しかし、十歳にも満たない弁皇子と協皇子は結局、十常侍に言いくるめられていた。 実質、国を納めているのは十常侍と言うことになるが、好き放題に金を使い、国を疲弊させているだけであった。 十常侍が酒池肉林を楽しむのを止めようと、曹操や袁紹が大将軍の何進を呼び立てた。すると、何進は何皇后に話を通したが、十常侍は聞かなかった。 そんな会話をやり取りしていたが、遂に十常侍が乱を起こした。 何進を呼び出し、皇室に入れると、矢を放ち殺してしまった。乱が起こったと、曹操、袁紹が軍が向け十常侍を皆殺しにし、皇帝を守ろうとした。 十常侍は何とか皇帝と逃げるが、曹操の追ってに捕まり殺してしまった。しかし、皇帝は逃げ続け、洛陽に参内しようとしていた董卓に保護された。曹操の追っ手が合流し、洛陽に皇帝を戻した。
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