ロボットの世界

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「自分以外全て精緻な機械ではないか」  そう思ったことがある。  何故なら自分の周りの人物、特に親しい人物の行動がパターン化されている気がするのだ。  人間である可能性もある。そうでないかもしれない。しかし、人間であるには少しパターン化されすぎているのではないだろうか。  世の中に同じ人間はいない。よく言われる文句だ。しかし、見た目が似ているのはよくある。考え方も似たり寄ったりだ。こうなるとそのように作られた個性の無い機械に思えてしまう。  怒りっぽい、恥ずかしがり、泣き虫、優しい。それらの言葉が指しているのは「人間はいくつかのパターンを合わせて出来ている」という事実。まるで機械の改造だ。  見た目が良いのなら、外装が良いデザインであると言える。機動力や馬力が無いが格好良いフォルムの車みたいなものだ。  中身が良いのなら、高い技術が使われた機械だ。タワー状の無骨で巨大なスーパーコンピュータなどが例にあげられる。  言いたいのは筆者からすれば、読者など他者は皆機械であってもおかしくないということである。自分自身は違う、人間だと思う。それすら間違っていて、脳にあたる部分が認識をごまかし自分を人間だと思い込ませているのかもしれない。この世界はロボットが六十六億体ある世界なのかもしれないのだ。
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