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家を飛び出したのだ。
母親を待つつもりはなかった。
このまま、1人で幼稚園まで行ってしまおうと思っていたのだ。
通い慣れた道、いくつかの角を曲がり、光明は河原へとさしかかった。
その時、光明は奇妙な感覚に陥った。
いつも通る道、見慣れた風景、しかしその日はいつもとどこか違っていた。
何か変だ、そう思った光明は、走るのを止め、辺りを見回してみた。
しばらく周りの景色を見回してみて、初めて違和感に気づいた。
「誰もいない…それに、川の音しか聞こえない…」
犬の散歩をしている老人、遠くから聞こえる車の音、自転車で走る学生、いつもなら、そんな風景が目に入ってくるはずなのに、今日に限って、そんな人影が目に入らず、音が耳に入って来なかった。
光明は、自分の走って来た道を振り返ってみた。
そこには、自分を追いかける母親の姿があるはずだった。
いくら自分が走っていたとはいえ、それほど距離が離れているとは思えない。
しかし、いくら待とうとも、母親の姿が目に写る事はなかった。
幼稚園に行けば誰かいるはず、そう思った光明は、不安に駆られた事もあり、再び走りだそうとした、まさにその時だった。
「…ち……こ…」
何かが聞こえた気がして、走りだそうとしていた足を止めた。
不信に思いあたりを見渡す。
しかし、誰も見当たらなかった。
「こち…へ…い」
再び聞こえた。
今度はさっきよりもはっきりと。
「誰?僕の事?」
姿の見えない声に対して光明は声をかけてみた。
「こちらへこい…」
今度は、はっきりと聞こえた。
声は川原の方から聞こえてくるようだった。
川原の方をよく見ると、何やら陽炎のようなものが立ちのぼっている。
恐怖心もあったが、それ以上に沸き上がる好奇心に勝てず、光明は川原に降りていった。
「こちらへこい」
声はやはりその陽炎から発せられているようだった。
引き寄せられるように陽炎に近付き手を延ばす。
手が陽炎に触れるや否や、光明は体が浮き上がるような不思議な感覚を覚えた。
一瞬光が目を覆い、すさまじい早さで周りの景色が流れていく。
自分が立っているのか倒れているかわからない状況のまま、光明はわけがわからず、ただ叫び声を上げるのが精一杯だった。
流れる景色が少しづつ暗くなっていった。
それと同時に恐怖が沸き起こってくる。
いやだ!恐い!行きたくない!絶対行きたくない!誰か…助けて!お父さん!
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