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朝、日の出と共に一人の人間が活動を始めた。
彼は寝癖だらけの黒髪を無造作にかき上げると、家の裏に向かい、薪を数本抱えて戻ってきた。
彼の家は森の入り口のような場所に立っているため、電気ガス水道といった文明の利器とは無縁である。
彼はそれが気に入って、ここで暮らしている。
彼が釜戸に向かって火を起こしているところに、別の誰かがやってきた。
足音、というよりは何かを引き摺るような音と共に。
その誰かは、彼の斜め後ろに立つとにっこり笑ってから言った。
「おはよう、やまさん。何か手伝いある?」
やまさん、ことやまつばめという名前の彼は、軽く振り向いておはよう、と返した。
「早いな、襾乘鴣(カノコ)」
「…んー? 普段通りだよ」
そういって笑顔を返す襾乘鴣と呼ばれた誰かには、足、と呼べる部位が存在していなかった。
足の存在しないその下半身は、龍のものだった。
黄金の鱗に包まれた、堂々たる見事な体躯。
それでいて、鱗は繊細な一枚一枚の羅列。
髪は鱗の如く、金細工のような輝きで、瞳は琥珀石よりも心奪われる色合い。
額にはもう三つの瞳が輝きを放っている。
その瞳を考慮してのことなのか、彼の前髪はちょんまげのように縛りあげられていた。
朝の風に毛先が揺れる。
一般男性よりも些か細身の上半身を限界まで後ろに捻って、襾乘鴣は不意に森の方を向いた。
風に乗って流れる笛の音を、尖った大きな耳が捉えたような気がしたからだ。
「やまさん」
「うん」
襾乘鴣が全てを言う前に、やまつばめはやんわりと頷いた。
相変わらず視線は釜戸に向けていて、手を止めることはしない。
襾乘鴣はじっと彼の後ろ姿を見詰める。
まだここで暮らし始めての月日は少ない。
彼の一挙一動を興味深げに、流れる風に乗る微かな笛の音と共に眺める事にした。
その静寂を台無しにする物音が家の中から響くまでは。
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