紅の記憶

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世界は今、どうしようもないくらい平和だ。 中学だってまともに出ていない悪ガキでもそう言える程、西暦二二○六年、二十三世紀の日本は平和だった。 月面都市国家軍との戦いで破壊された場所を高い壁やフェンスで覆い隠した日本人にとって喉元過ぎればなんとやら。 たかが五、六年前に終わったばかりの戦争など既に歴史の教科書の中の話でしかない。 猫の額程の島国でこまごまとしている日本人から見れば、日本が平和なら世界は平和なのだろう。 「平和だね、ホント」 十七歳の姫野啓太はスクランブル発進の命令を受け、石狩湾上空にあった。 防空識別圏内に侵入した国籍不明の飛行物体に対し、それが領空に入り込む前に迎撃態勢を取る。 数百年間に毎年数百回繰り返されている北海道千歳基地の日常。 防空識別圏に土足で踏み込み、こちらの反応を楽しむように突き進んでくる二つの影は、帝政ロシア空軍の航空可変WF【ミグ】。 ――毎度毎度ご苦労な事で。 啓太は口内で呟く。 雲と風を切り裂き、【ミグ】と同等の性能を持つ可変WF【睦月(むつき)】は、啓太の握る操縦桿に従い、戦闘機形態のまま高速で空を一直線に突っ切った。 少し乗ってきた調子に任せ、くるりと一回転でもしてやろうかと啓太が口元を緩めた時。 ヘルメットの無線に、堅苦しい後続機からの声が滑り込んできた。 コクピットのメインビュー右下に割り込んできた枠に、こちらを睨む少女の顔が映る。 〈イーグル3よりイーグル2へ。任務中よ、不謹慎な発言は慎んだら?〉 凜とよく通る声。 一気に興ざめさせてくれるカタブツ女のお堅い忠告。 六○メートル後方を、やはり戦闘機形態で飛行する【睦月】を肩越しに一瞥し、啓太は中指を立ててやった。 〈それはどういう意味?〉 「こんばんは野暮助(レディ)って意味だよ」 〈ご丁寧にどうも。こんばんは、姫野准尉〉 「おはよう、宗像准尉殿。歯ぐらい磨けよ。女が廃るぜ」 〈黙れ、寝太郎〉 速度を上げた宗像美咲のイーグル3が啓太の【睦月】の右横に並んだ。 そしてあえて何もせず、愛想悪くもう一度減速して元のフォーメーションに戻る。 まるで自分は子供ではないと主張するかのようで、毎度ながら腹が立つ。 〈そこまでにしろ、うるさいぞ〉 いっそミサイルをロックオンしてやればおとなしくなるかと本気で考えた時、啓太の耳にはまた別の声が響いていた。
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