影 落ちる刻

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いつから立っていたのか、振り向いた啓太を真っ直ぐ見上げていたのは先ほど見送ったばかりのロシアの少女だった。 桜色の頬が色白に映える小顔にまじまじと見つめられ、啓太は思わず後退り。 もうすぐ十八歳の同い年、美咲と比べても明らかに幼い。 「エレナちゃんだっけ。シュトルーベ大佐についていかなくていいの?」 固まっている啓太に気付いた美咲が近寄ったが、彼女は全く知らん顔で啓太から目を離さない。 「な、なにか」 啓太が問うと、少女はやはりという様子で頷き、固く結んだ口を開いた。 「ボク、キミの声しってる」 「は?」 「聴いた事がある」 エレナはまた一歩啓太に詰め寄り、品定めするような目を向ける。 声と言っても、啓太はまだ二言三言喋った程度である。 よほど確信が持てているのか、エレナはしたり顔で鼻を鳴らした。 「ボクは空で見た色と聴いた音は絶対に忘れない。キミの声、どっかで聴いた」 何を突然。 このよくわからない少女に手を焼き、啓太は助け船を恵美に求めたが、彼女の姿は既に中華料理店の中に消えている。 仕方なく前を向くと、エレナは「そうだそうだ」と何か思い出したように笑っていた。 「キミはこう言ったよね。『来いよ、ロシア野郎……!』。残念、ボクは女の子だよ」 脳裏にまるで光でも走ったかのようだった。 自分でも忘れていた、しかし間違いなく自分が発した言葉。 「『この国平和だろ? 壊すなよ』!」 口調までまるごと真似てみせたエレナが口元に笑みを浮かべる前に、啓太はかっと白熱した感情に任せるまま、彼女に掴み掛かっていた。 「お前……!」 この少女こそ一週間前、日本の領空を平気で侵犯した挙げ句、銃を抜いた【ミグ】のパイロットだ。 実際には、あの【ミグ】に乗っていたのが彼女であったかはわからない。 それでも、啓太の沸騰しきった頭は彼女こそあのパイロットであると確信していた。 「ままま、待ってよ。ボクは喧嘩しにきたわけじゃないってば」 左右から鷲掴みにされた両肩を交互に見やり、エレナは慌てた声をあげる。 「ちょっと啓太!」 落ち着いてよ。と美咲に腕を掴まれ、振り払うようにその手を離す。 乱れた半袖の黒い軍服を正し、趣味であろう赤いネクタイを締め直し、エレナは「も~」と唸った。 「一度会いたいって思ってたんだ。ボク、エレナ」
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