影 落ちる刻

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「ちょっと待て。同じってどういうことだよ」 もう啓太に興味を失ったのか、黒い半袖の軍服に付着したホコリを気にして肩の辺りを払っているエレナに、啓太は詰め寄った。 「んー?」と、先程までは逸らそうとしても合わせてきた目を今度は見ようともせず、エレナは気の抜けた返事を返すだけ。 「どうって言われてもナー。ボクにはうまく言えないよ」 次は肩を払う左手の爪の形が気になったのだろう。 爪研ぎを探してスカートのポケットをまさぐる。 あちらこちらに興味が行って、子猫のように落ち着かない。 「強いて言えばね」 ポケットからようやく銀色の爪研ぎを探し当て、爪を研いだエレナは、満足げに指を眺め、やっと啓太を見た。 「ほら。だから」と勿体をつけ、少し考える素振りを見せた後、その小さな口を開いた。 彼女が紡いだ言葉と、道行くロシア兵の流れの中から「あんにゃろ、やっぱりここに!」と大きな声が重なったのは同時だった。 どたどたと道の向こうから駆け寄ってきた大男が、近寄るなり少女の脳天にげんこつを打ち下ろす。 「きゃん!」 「このチビ猫。うろちょろすんじゃねぇよ!」 中華料理店から出てきたシュトルーベ大佐の後ろに控えていた下士官だろう。 エレナの倍はありそうな大柄な男性で、頭に大きなこぶをこしらえたエレナを脇に抱え、そのこぶに拳をぐりぐりと押し付ける。 「痛い、痛いよ。マクシム」 「イタいのはお前だろ」と付け足した大男は啓太らに頭を軽く下げた。 「すいませんね、ホント。それはもうウザかったでしょ」 「そんな事ありませんよ。とっても可愛らしい子ですね」 美咲が取り繕うと、太い腕にがっちり固められた頭を振り、エレナが「子供扱いしないでよっ」と叫ぶ。 マクシムと呼ばれた大男はもう一度げんこつを頭に打ち込み、きゃん! と一鳴きしてのびたエレナを肩に担ぎ上げた。 「電波なたわごとをごちゃごちゃ並べたと思いますがね。自分でもよくわからず言ってるんで、あんま気にせず」 短いチェックのスカートから下着がこぼれそうでまともに見れなかったが、担がれて引っ立てられていく彼女を二人で見送る。 「嵐みたいな子だったね」と苦笑いした美咲の横顔を見ながら、啓太は少女の“電波なたわごと”を思い返していた。 店の自動ドアのガラスに映り込む自分の目は、何か不安げな黒を湛えて揺れているだけだったが。
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