影 落ちる刻

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「そのイケメンなメシア様が日本に何の用かしら。まさか、陛下をどうのこうのしようっての? その、平等の精神とやらで」 「さあな。だが、聖上(おかみ)にカマ掘るのが目的ならさすがに諜報なり公安なりが嗅ぎつけるだろ。……連中がそのホモ野郎について何も掴めんのは、奴らの標的が日本ではないから……と、俺は見てる」 「標的はあくまでロシア。諜報部が持ってる情報源には引っ掛からない……と」 「そう願いたいよ」と苦笑した二宮の声は、会場に鳴り響いた乾いた破裂音にかき消された。 WT【夕立】、WF【睦月】らで編成された弔砲隊が空砲を空に向けて放ったのだ。 先頭に立つ、黒くカラーリングされた二機の【睦月】は、おそらく夫と五十嵐ひばりのものだろう。 ずらりと並ぶ弔砲隊を眺めながら、二宮が続ける。 緊張感を孕む、低い声で。 「“ワシリー”関連かは不明だが、一つ気になる事がある。というか、こっちのがやばい」 存在するかどうかもわからず、革命の標的が日本である可能性が低い、まるで都市伝説のような組織よりも、よほど重要視すべき相手。 二宮の口調はそれを大いに物語っていた。 「先日、ウォーロック社代表取締役ミハエル・ロックフォードの入国が成田空港で確認された」 「ウォーロック……!?」と、珍しく恵美は静かにだが声を荒げた。 こくりと二宮の頷く気配が伝わり、恵美は思わず身を乗り出す。 「成田からタクシーを拾って、その後の足取りは掴めず。……尾行させていた諜報部の若いのが、翌日北海道で見付かったらしい」 「殺された……?」 「いや、気を失ってただけだけどな。時間的に北海道まで行くのは無理だと考えると、もう常識もクソもありゃしねぇ。十中八九、“ルナシリーズ”の仕業よ」 「ルナ……」 六年も前の記憶、というより感覚が、じわりと嫌な汗と共に腹の底に沈殿していく。 背筋の凍る感覚。 日本皇国軍で唯一交戦経験のある恵美にとって、“月(ルナ)”はそういう存在であった。 対人、対艦などといった生易しいものではない。 対国家を想定したとしか思えない圧倒的なWT操縦技能と特殊能力を備えた、人間。 それでも彼らを“人間”と呼べるのは、ルナと対峙した軍人の中では自分を含めたほんの一部の者達だけだろう。 自分達は知っているから。 とある夫婦の、蒼い瞳の美しさを。
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